Chi-On

王冠の下僕

迷子日和

 愛島セシル、というのはST☆RISHと同じ頃にデビューしたソロアイドルだ。アグナパレス出身の外国人シンガーで他のアイドルが持っていない独特の感性の中にいる。ST☆RISHと同期だということは七海とも当然同期だということになり、時折、彼女たちの話題に愛島が出てくることも珍しくはなかった。
 俺自身も愛島とは何度か会ったことがある。一風変わったやつだなと思っていたが別段悪感情は持っていない。
 悪感情は持っていないのだが、今日は少し驚かされた。
 神宮寺の運転で辿り着いたのは関東では有名な江戸時代を模したテーマパークで、彼のイメージとは合わない、と呟くと困ったように笑われた。そして、彼は昨日記者会見で時代劇の映画作品の主演をすることを発表したのだと教えてくれる。
 三日世間と隔絶しただけで浦島太郎になったような気分だ、と言えば相変わらず喩えが古風だねともう一度笑われる。
 そんなやり取りを経て施設に入場してしばらくは神宮寺と一緒にいたのだが、施設のスタッフと話があるから少しの間、俺一人で見学していてほしい、と言われ承諾した。
 広い施設の中を一人で歩く。まだ少し眠気は残っていたが、疲労は幾らか薄れているような気がした。
 その声が聞こえたのは時代衣装を着ることが出来る、という店舗の前だ。聞き覚えのある声が賑やかにしているから、何かと思い店を覗く。出入り口の横にかけられた看板の「町人 四千円」の文字が妙に印象に残った。

「素晴らしいデス! これでワタシも一人前の忍者デスね!」

 にんにん、とどこで覚えたのか昭和の漫画の擬音を口にしている彼はどこからどう見ても愛島で、思わず俺は声をかけていた。こんなところで同僚と出会うのが珍しかったのもあるが、一人テーマパークの難易度の高さに心が折れそうになっていたというのも大いに影響している。

「愛島君、君は何年か前に時代劇の舞台に出ていただろ?」
「アナタは……確かアユミ!」

 ハルカの友だちの方デスね。元気よくそう言われて俺は本日二度目の無力感に襲われる。問題が多すぎて何から訂正すればいいのかもう見当もつかない。シャイニング事務所のアイドルというのは概ねどこかすっ飛んでいる節があるから、今更彼らに「普通」を求める方が無意味で無意義だ。

「それで? 一人なのか?」

 衣装屋の店内には愛島一人の姿しかない。一人テーマパークを満喫する一人旅マスターなのかと思いながら問えば愛島は静かに首を横に振った。

「イイエ。オトヤとショウの三人で来マシタ」
「二人の姿が見えないが?」
「手裏剣を投げてイマシタが、二人ともファンの方に見つかって逃げ回ってイマス」
「君は?」
「ワタシは顔出しの仕事が少ないノデ、一般人と思われたようデスね」
「君が? 一般人? 俺にはとてもそうは見えないが」
「それはアユミがハルカの友人だからデショう」

 そういうものかと一人納得する。経緯は違えど、愛島もまたこの広いテーマパークの中、一人でいるのだということだけがわかればいい。
 次の言葉は、気が付いたらもう唇の上に載っていた。

「愛島君、俺も町人になってみたいんだが、そのあと一緒に歩かないか?」

 町人四千円。決して払えない額ではない。侍五千五百には抵抗があるし、俺は侍というタイプではないだろう。打算にも似た何かを考えながら愛島に提案を投げかけると彼は至極不思議そうな顔をした。

「ワタシと一緒に歩く? アユミはそれで何になるのデスか?」

 その疑問には俺を否定する要素は含まれておらず、ただ単純に本当に因果関係を見いだせていないというニュアンスだった。
 同じ事務所に所属して、偶然同じ日に別の相手とオフを楽しもうとして、結果一人きりになった。心細い、だなんて思春期の少年のような感傷を抱いているのが俺一人だとしても、俺は愛島と言う幾ばくか理解のある相手を得たことを幸運に思っている、と噛み砕いて説明すると彼はぱっと表情を輝かせた。

「アユミの作る音楽は知っていマス。ハルカほどではないけれど、アナタの音楽にもミューズの祝福が宿っていマスね?」
「俺はそういう感覚はわからないよ」
「この国ではそう言われマスね。ワタシも少し慣れてきたノデ大丈夫デスよ」

 少しだけ残念そうに愛島が表情を変える。アグナパレスという彼の母国での常識は俺にはわからない。七海のように未知の常識を丸ごと受け入れることも、俺には出来ない。
 それでも、俺は彼の言葉を理解する為の努力をしたいと思った。

「愛島君、その、ミューズの祝福というのはどういうものなんだ?」
「アユミはミューズを否定しないのデスね」
「君が俺に偽りを植え付けるだけの理由がない。馬鹿にしているとも思えない。そうなると君は真実を口にしているんだろう? 想像力も持たない音楽家は早晩干されるのが関の山だ」
「アナタの音楽にミューズを感じる理由が少しわかりマシタ」

 言って愛島が柔らかく微笑む。アナタと一緒に歩くのには意味がありそうデス。愛島の言葉が俺の来訪を受け入れた。そのことに俺もまた微笑みを返す。
 そして、俺は野口英世四人と別れを告げ、町人に扮する。
 着慣れない和服は少し肌寒さを感じさせたが、しっかりと俺の体に寄り添い、存在を自己主張する。
 15時には返却に来てほしい、と係員から案内を受け、衣装屋を出た。町人の衣装にボディバッグというのはどうにも合わないような気がしたが、忍者の衣装にリュックを背負っている愛島も違和感があまりないことを客観的に受け取り、結局どうせ「ごっこ」だと割り切った。
 江戸の街並みを歩きながら、俺は愛島と世間話を始める。

「アユミは一人でここへ?」
「いや、神宮寺君と来たんだが、彼は仕事の打ち合わせがあるらしい」
「ではワタシと同じようなものデスね」

 そうだな、と笑えば愛島はアユミはワタシのことを知っていマスか、と問う。

「どういう意味で?」
「アユミは誠実デスね」
「よく言われるが、俺だって打算ぐらいするんだけどな」
「適当に答える、という選択肢があることをワタシはこの国に来て初めて知りマシタ」

 アグナパレスではないのか、と問えばワタシは王子だからと返ってくる。日本でその地位に当たるだろう皇太子のことを考えると詳細を聞くまでもなくニュアンスは理解出来た。多分、彼は誠実に育てられた。正直を美徳だと思っている。偽りを口にする罪悪を誰よりも感じている。だから、彼は世俗にまみれたこの国の、その中でも更に俗な面の強い芸能界では異色を放つ。
 最初のうちはそれでよかったのだ。
 今までにないインパクトとキャラクター性。それだけで十分に売れる。
 だが、この国に住む人間は地球上でも特筆すべき順応能力と排他性を持っている。愛島の性格と価値観はすぐに没個性化し、それどころか違和を放ち始める。
 愛島にはアグナパレスの王子としての誇りがある。なのに日本人はそれを認めない。いつまでも自国に固辞する、ただの自分勝手に映るのだ。

「君はアグナパレスに帰ろうと思ったことはないのか?」
「ワタシのミューズが他人の妻となったとき、もうこれ以上この国にいることは出来ない。そう思いマシタ」
「それでも君はここにいる」

 つらくはないのか、と言外に問えばつらい、と正直な返答があった。

「それでも、ハルカの曲を歌うとき、ミューズはワタシと共にあるのデス」
「その、ミューズというのが俺にはよくわからないんだが」

 ミューズというのは音楽の神デス。この国ではアメノウブメや弁財天に近い、と愛島が答える。

「アユミ、アナタたちの言葉で言うなら、ワタシは音楽を可視化出来る、ということになりマス」
「愛島君、その表現は卑怯だ。『特別な音楽だけを』と言うべきじゃないのか?」
「アユミ、アナタはせっかちデスね」
「日本には随分慣れたんだな」
「もう七年目デスから」

 そんな言葉の応酬をインターバルに迎えて、俺と彼の押し問答は続いていく。
 愛島には音楽の神の祝福が見える。七海の音楽はその祝福に満ちているから、彼女の音楽に接すると愛島は幸福感を覚える。彼の本国であるアグナパレスから輸出される楽器たちにはミューズの祝福を込めているから格別の音を出すことが出来るが、その効力はいずれ失われる。七海の感性はその補助がなくともミューズの祝福を生み出す。天性の才能だ。
 それは特別な才のない俺にも何とか理解出来る。
 七海の音楽は特別だ。俺の音楽にはない魅力がある。
 遠回しに俺の才能の有無を問えば、愛島は何の臆面もなく七海とは比べるべくもないと一刀両断した。

「手厳しいな、君は」
「それでもアユミ、先月アナタが蘭丸と二人で発表した新曲にはミューズの息吹がありマシタ」

 七海の音楽は特級品で、俺の音楽の十曲のうち一曲ぐらいには一級品が混じっている。だから、彼は俺の顔と名前が一致する、と愛島は言う。

「そういう、アナタたちの言葉でいう『キセキ』を見たいからワタシはこの国にいるのデス」
「それは、褒めてくれているのか?」
「繰り返される『キセキ』はすぐに価値を失うのデショウ? アナタの音楽はそういう意味ではとてもバランスが取れている、とワタシは思っていマス」
「なら、君も俺の曲を歌ってくれる、と言うのか?」
「アナタが真実ワタシの為に生んだ『キセキ』なら」

 限定に限定を重ねた否定の言葉に俺は舌を巻く。
 その奇跡は多分起こりえない。それを知っていて尚求めた。愛島セシル、というのは外見や普段の行動からは見抜けないほど毒を孕んだ存在だということを俺は始めて知る。
 同じ外国出身のシンガーであるカミュの毒舌などただの演技だとすら思う。
 これほど、真摯にけれど同時にとても強かに真実を求めているものはこの国では多くない。
 彼の望みを叶えられるのが七海だけだ、ということを茫洋と理解した。

「君には負ける。俺のような口下手では到底勝てる見込みがない」
「アナタは口下手ではアリマセン」
「というと?」
「人を傷つける罪深さを知っている、優しいアナタを失うべきではない、とワタシは思いマス」

 それでも、人の中で生きるということは誰かを傷つけるのと同義だ、と返すと愛島は憐れみ深い顔をした。

「アナタもレンもハルカも。本当に優しい人は他人を傷つけるのを頑なに拒むのに、自分を傷つけるのは躊躇いもしない。それは自己満足だということを知るべきデス」

 その言葉の向こうには慈しみが満ちていて俺は軽く目を見開く。シャイニング事務所でのカミュは毒舌家で自尊心の塊で、だからこそ彼は下積み時代の愛島を不必要に傷つけた。その業すら彼は赦している、そんな気がする。
 その懐の広さを垣間見て、彼の肩書の重さもまた俺の中で意味を持った。
 アグナパレスの王子。いつか彼は故国に帰るだろう。そして国を治める。そのときに彼がよき為政者たる為には優しさだけでは守れないものがある。まだ二十と少ししか生きていない彼にそれが見えていて、年長の俺も同じことを知っているのに頑なに拒もうとしている。
 それを遠まわしに伝えようとしている、彼の優しさに心の奥がほんのりと温まった。
 本質を見失わない彼の強さが少し羨ましい。
 俺への訓戒と気遣いへの返答をするべきだ、と考えたところで二方向から別の声が聞こえる。

「セシル、ごめんごめん。もう大丈夫だよー」
「君さん、待たせたね」

 音源同士が音源を見つけて苦笑する。その光景の持つ和やかさを目の当たりにして俺と愛島は顔を見合わせて笑った。

「愛島君、機会があればまた話そう」
「ハイ。ワタシも時間があればアナタのスタジオに行ってもいい、デスか?」

 勿論大歓迎だ。ではまた。いつとは定めない約束を交わして俺たちはそれぞれの本来の同行者のもとへ戻る。
 侍に扮した神宮寺と一緒に七海の作った昼食を食べながら、俺は今日の巡り合わせから何かを得た気がした。
 行き先不明の旅も、野口英世との決別も。この世界に意味のないことなんて何もない。そんな哲学めいたことを考えた休日の正午が緩やかに過ぎていく。
2014.05.06 up