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'21 神宮寺レン生誕祭

 この世界にあるものはいつか全て失われる運命を背負っている。
 形あるものは朽ち、形ない記憶や思いも忘却として消えゆく。
 俺たちが生きている、と認識している今ですら次の瞬間には過去になり、どれだけ名を馳せようと百年先の未来ではそういう人がいたような記録が残っている、の次元に到達するだろう。俺たちが歴史という概念の中に偉人たちを知るように。
 人は死ねば消える。それどころか、苦しみも喜びも今だけの感情で、いつか、俺たちの命が終わりを迎えるのを待つまでもなく風化する。人の精神は健忘によって均衡を保つ。
 だから。
 無事に一年を生きた、というのはある種の奇跡で何にも代えがたい幸福なのだろう。
 特別なことなんて何も起きなくても、おめでとうと言うべきことなのだろう。
 俺たち――俺と黒崎蘭丸の二人だ――はこの人生の次の運命を背負っている。観測者というSFにしか出てこないだろう概念上の存在になり、永久の記憶に寄り添って生きることを約した。決して忘れられない記憶になる、という超自然的な事象の重みを知ったときには流石の俺も臆した。消えない感情というのは何なのだろう。そんな風に感傷的な気持ちになったこともある。
 それでも。
 世界平和と愛を両天秤にかけて、愛を選んでしまった俺に出来ることはそれほど多くない。
 残された半世紀で出来るだけ多くの愛を焼き付けておくぐらいしか建設的な行動を思いつくことが出来なかった俺は俺の世界にある様々な愛の姿を探している。友愛、敬愛、親愛。それらは振り返れば俺の人生にも数多転がっていた。誰からも愛されていないと嘯いて、孤独を嘆いて、孤高を気取っても俺はちゃんと愛の中にいる。
 だから。

「寿君。QUARTET NIGHTに個人的な依頼をしたいときは君に声をかければいいのか?」

 ある年の11月某日。もう何年目かの開催になるシャイニング・クリスマスの企画の打ち合わせで寿嶺二と俺は顔を合わせた。今日は観客席に配布するLEDライトのAI制御アルゴリズムの確認で22時からの現場入りだ。プログラミングに長けた美風藍がシステムブースでプログラマたちに指示を出しているのを横目に、機械のことは詳しくない俺と寿は虹色に輝くドームの屋根を観察しながら、曲やパフォーマンスに合っているかを茫洋と脳裏に描く。当日は投影ではなく、本当にこの光点たちが輝くのが今からでも楽しみだった。
 一通りのテストが終わるのはこの後、テッペンを越えて27時半という予定だったから俺たちが口を出すのにはまだまだ時間があった。
 衣装は先週、仮縫いが終わり、今は最終縫製に入っている。ステージはまだ設営さえされていない。それでも、レッスン室にはバリが貼られ、今日、ここにいない黒崎とカミュは振付の確認をしていると聞いている。俺の認識が間違っていないのなら、多分、レッスン時間中は沈黙が保たれているだろう。いい加減、加齢からくる眠気に負けそうになっている中堅の音楽家である俺としては打ち合わせ後は直帰して、次の仕事まで爆睡したいところだったが、時と場合によっては黒崎の話を聞くのもまぁ仕方がないことだと思えた。
 そんな、世界も人もタレントたちも皆一様に浮足立つ年末のイベントに全力で取り組みながら、それでも俺の脳裏には「次の予定」の段取りがある。
 そのことを相談するのに、どうしてもQUARTET NIGHTが外せなかったから俺は同じタイミングで休憩に入った寿に声をかける。QUARTET NIGHTの最年長で個性豊かなメンバーを取り纏めるリーダーを差し置いて、悪友である黒崎に相談するというのは少しばかり順番を逸脱しているという自覚があった。
 まぁ、普段からその逸脱を繰り返しているツケなのだろう。
 あるべき手順によって持ってきた相談は困惑の表情を受け取った。

「えっ?」
「えっ、じゃないだろ。君が、QUARTET NIGHTのリーダーじゃないのか?」

 わかりきっている事実の確認をすると寿の表情が曇る。冗談めかしてはいるが、彼は彼なりに危険予知をしているし、何なら大正解の札まで進呈しよう。

「いやぁ、まぁ、そうなんだけど。ハルちゃんがランランづてじゃなくてぼくに直接言ってくるって、相当ヤバいことなんじゃないかな~って」
「安心していい。相当にヤバい依頼だ」
「ほら~、やっぱり~? って! 本当にヤバいことならぼくはエンリョしまッチョッチョ!」

 どうやったら首都圏の生まれでこの綺麗なノリツッコミを習得するのか、放送業界にいるものとして、その秘訣を是非とも知りたいという気持ちが生まれたが、それは今問うことではないだろう。別の機会に酒でも飲み交わしながら教えてもらおう。などと決めて、俺は完全に危機回避モードに入った寿と対峙する。

「大丈夫だ。ちょっと東京スカイツリーを貸切るのを手伝ってほしいだけだから」

 閉館から翌朝の開館時間までなら、割合安価で――とは言ってもゼロの数はそれなりだったが――貸してもいい、と「五摂家」の近衛史(このえ・ふひと)の言質は取ってある。勿論、かなりの数の制約を伴っている。飲食は禁止。館内は基本的には消灯もしくは小さな非常灯のみ許可。音楽を鳴らすのも禁止。その他諸々の条件の中に、ツリーを貸切りたいのなら人員を正当な手段で以って動員すること、というのがあった。
 だから、QUARTET NIGHTのメンバーにスカイツリーのスタッフとしての講習を受けてほしい。
 似たような依頼を先日、ST☆RISHの一十木音也にも持ち掛けたのだが、同席していた一ノ瀬トキヤが本来の目的を三行目ぐらいで認識したのが流石、頭脳派の箔を持っているだけのことはあると舌を巻いたのも記憶に新しい。
 そんなことを訥々と語ると寿は一ノ瀬よりも三倍ほど大きなため息を吐く。
 そして。

ハルちゃん、仕事のしすぎで熱でもあるんじゃない? 解熱剤、あげようか?」
「生きてる以上、皆熱はあるだろ。それとも、俺は死んだ方がいいのか?」
「んも~、そのヘリクツのこね方は正気なんだろうけど、もう一回言った方がいい? ハルちゃん、かなりヤバいこと言ってるよ?」

 ひじりんやレンレンに負けず劣らず、って感じ。ハルちゃんはぼくと同じ側だって信じてたのになぁ~。
 茶目っ気たっぷりの皮肉が返ってきたが、それも今となっては耳が痛いで済む自分がいることに一番戸惑っているのは俺自身だ。
 そうだ。一般家庭に生まれ育ち、弱小音楽事務所で底辺音楽家だった俺からは到底言い得なかった企画だとわかっている。それでも、いつか消える記憶の一つなら、たまには満月ぐらい大きな輝きがあってもいい筈だ。どうせ人は財産を持ったまま死ぬことなど出来ない。俺たちが生きている間に稼いだギャラは死ぬまでに使い切るしかないのだ。
 だから。

「いいじゃないか。スカイツリーで誕生日パーティ。一生に一度ぐらい経験したって損はしないだろ?」

 こっそりひっそりと深夜に東京上空で行われるパーティというのもなかなか味があっていいのではないか。そんなことを続けると、寿は両肩をすくめて、諦観を示す。諦めを通り越して、呆れのような雰囲気すら漂っているが、多分彼は俺の無茶苦茶な依頼を受けてくれるのだろう。

「その準備に、当日までに誕生日があるふたりを強制的に巻き込む時点でハルちゃんは地獄行きだと思うよ~、ぼく」

 誰の誕生日かはまだ口に出してもいないのに、寿にはその答えがわかっているようだった。
 そして返す刃で痛いところを的確に突いてくる。流石、QUARTET NIGHTを取り纏めているだけのことはある。毒と蜜の配分が絶妙だった。
 言い訳にしか聞こえない返答を投げると、寿は不意に柔らかな空気を纏って微笑む。

「聖川君と伯爵の誕生日もちゃんと祝うさ」
「まぁ、でも。スカイツリーのスタッフ講習なんてこんな機会じゃなきゃ経験することもないし、ぼく個人はオッケーかな」
「じゃあ君が責任をもって残りの三人も説得してくれるってことで」
「いや! おかしいよね? ランランの説得はハルちゃんがした方が早いし確実だよね?」

 アイアイも今日、ここにいるんだからハルちゃんが説得してくれたらいいのに。の不貞腐れた声に俺は缶コーヒーを飲み干す。寿をちら、と見ると彼も既に飲み終えた缶を持っている。左手でそれを預かって、俺はゴミ箱を探す旅に出る、と告げて一方的に戦線を離脱すると「ハルちゃんのそういうとこ~、嫌いじゃいけど、ずるいなぁ~」という声が背中の向こうから跳んできた。

「寿君。大人は皆、ずるいものだ」
「あっ、それ~。それもずるい~。ぼくだってもう十分大人なんだけど~」
「仕方ないだろ。年齢は絶対に飛び越せないんだから、君は一生俺より若いんだ」
「はいはい。そうですね~」

 ところでハルちゃん。目の前にあるのは何でしょう?
 悪戯っぽく尋ねられて、俺は自動販売機、と答えそうになって気付く。この休憩室の区画の壁際に缶のゴミ箱が並んでいる。旅に出る口実がなくなったのを察し、俺もまた苦笑した。
 そこに近付いてくる足音がある。誰だろう、なんて思っていると暗がりの廊下から美風の姿が現れる。

「レイジ、ハル。随分楽しそうだけど、何の話?」
「俺の個人的な依頼の話」
ハルちゃんがレンレンの誕生日にスカイツリー貸切るみたいだよ?」

 ぼくたちも手伝ってほしい、ってさ。どうする、アイアイ?
 そんな端的な説明にも美風は持ち前の理解力を発揮して、興味を示す。彼が機械だということを常々忘れてしまうぐらい、美風はヒトとして成熟しつつあった。
 
「ふぅん。面白そうだね。ボクにも聞かせてよ、その話」
「粗方寿君には説明してあるから、詳しくはそっちから聞いてくれ」
「了解。で、ハル
「何だ? 俺の仕事でも出来たのか?」
「ここの暗転のタイミングなんだけど――」

 進行表を手に俺を探していたらしい美風はここが休憩室だということを忘れて相談を始めようとする。

「美風君。機材と一緒に確認したいんだが?」
「ああ。うん、そうだね。じゃあこっちに来て」
「寿君はもう少しそこで、俺の企画をどうやって伯爵に了承させるか、考えておいてくれよ」
「あー、そこは忘れてくれてもよかったのに~」

 まぁ適当に頑張りマッチョッチョ。言って寿がひらひらと手のひらを振った。
 それからというもの、俺やQUARTET NIGHT、ST☆RISHのメンバーは水面下で神宮寺レンの誕生日を祝う為に準備を進めた。12月が誕生日の聖川真斗はサプライズより正面から祝った方がいいだろう、となり彼の妹が主催する聖川邸での恒例のパーティが開催された。人の誕生日をこうも覚えている、というのは本当に不思議な感覚で、今までは企画書の向こうの世界でしかなく、パーティに参加してもどこかアウェー感が否めなかったのがまるで幻だったかのように俺の身に馴染んでいる。1月のカミュの誕生日は彼自身がパーティを固辞してシルクパレスで過ごす、というので俺は彼の誕生日の翌週末にワッフルを焼きに彼の屋敷へ行った。美味い、の一言こそ聞けなかったが追加で三つ焼かされたところを鑑みるにそれなりに喜んではもらえたのだろう。
 そうして、俺も含めた十一人がそれぞれの準備を終えて、神宮寺の誕生日――バレンタインデーを待つ。
 アイドルたちも秘密裡にスタッフの研修を受けたが、保険として近衛宗主は本職のスタッフを裏方で配置してくれている。万一の際には本職のものが手を貸してくれる、という寸法だ。
 誕生日恒例のディナーショーを終えて、神宮寺が帰宅してからこの企画は始まる。七海春歌にも段取りを説明しようと思ったが、彼女は神宮寺と一緒に「化かされる」側でありたいと希望したから、今夜何が起きるのかはまだ知らない。ただ、いつもの神宮寺邸でのパーティはない、ということだけを伝えてある。
 14日の業務をそれぞれに終えて、一人、ひとりとスカイツリーへと顔を出す。一番最後に来たのは聖川だった。宵闇の中一同が会したのを確認して、俺は黒崎と二人で神宮寺邸へと車を走らせた。八乙女楽と事実上の婚姻を果たした後も、俺の愛車は国産のミニバンだったから、神宮寺一家の送迎などわけもない。黒崎はスカイツリーにいてもいいのに、と言うと彼は「おまえがミスらねえか、見張ってやるだけだ」と言って助手席に座る。相変わらず、不器用で剛直な性格をした悪友を乗せて、俺のミニバンは夜の首都高を走る。
 閑静な住宅街の一角に居を構えた神宮寺邸へは間もなくだった。十分な広さのある駐車場にミニバンを停めてチャイムを鳴らすと七海が応答する。彼女の後ろから王子様たちが口々に俺を呼ぶ声が聞こえたのにどこか安堵する。間を置かず、玄関が開いて俺たちは対面した。

「今日のお迎えはお二人だったんですね」
「おう」
「七海君、神宮寺君はまだのようだが」

 彼の愛車がないし、どうやら靴も見当たらない。そんなことを音にすると七海は困っているようにも面白がっているようにも取れる苦笑で俺たちに応じる。
 エントランスの更に奥の方から賑やかな声が漏れ聞こえてくるが、その賑やかさが二人の子どもたちだけにしては妙に大きい。もしや、と思うと七海が笑う。

「――っていう風に見せかける為だけに裏口から帰ってきちゃったんです」
「君さん、ランちゃん。今年は一体何をやらかしてくれるんだい?」

 二人ともオレだって化かされっぱなしってわけじゃないよ。そんな不敵な売り文句が聞こえると、俺の隣の黒崎が更に輪をかけて挑戦的な顔をした。

「レン、てめえいい度胸だ。『そう来る』だろうと思って特別に用意してやったぜ」
「待ってくれ、黒崎君。何の話だ? 俺は――」

 化かされ待ちの神宮寺の準備などしていない。そう言おうと思ったのに黒崎のコートの内ポケットから二人分のバラエティ番組でよく見る滑稽なアイマスクが出てきてしまった。どこで調達してきたんだ。小声で問うと黒崎が八乙女が持っていたと返答する。じゃあその八乙女はどうやって手に入れたんだ、と聞こうとしたところで結論は先に神宮寺が紡いだ。

「何だい、それ、二階堂君の番組の小道具じゃないか」

 二階堂――って二階堂大和か。いつの間に親交があったのだ、だなんて問うより先に七海が歓声を上げる。

「ダーリン! 憧れのバラエティ番組のドッキリです!」
「ランちゃん、流石にカメラまで待ってたりしないだろうね?」
「馬ー鹿。おれがそういう安易なウケを求めてねえのはおまえがよく知ってるだろうが」
「……そうだね。ランちゃんと君さん――BMは正攻法が大好きだからね」

 じゃあしょうがないか。ハニー。オレと一緒に化かされてくれるかい?
 その問いに歓喜に満ちた「はい!」が響く。何年一緒にいても、彼らはいつでも初恋の気持ちを失わない。失われない、のではない。失わない、のだと八乙女と婚姻した今では俺もまた理解することが出来ていた。
 慈しみの表情で神宮寺夫妻がアイマスクを装着しているとリビングから出て、こちらの様子を窺っている王子様たちにも黒崎が淀みなく指示を出した。俺はこの、黒崎の現実的で建設的で明示的な実行力が嫌いではない。

「ってわけだ。幸春、楓恋。おまえたちは一番後ろだ」
「ランちゃん、ぼくたちは目隠ししなくていいの?」
「ああ。精々父親をワクワクさせてやれ」
「うん! 任せて!」

 王子様――幸春がそう答える背中の向こうで、楓恋が部屋にある家電製品の電源を切って回る。最後に照明を落とすと、彼女もまた誇らしげに「ハルちゃん、わたし、戸締りが出来るんだよ」という顔をしていた。
 そんな二人を三列目に、アイマスクを装着した神宮寺夫妻が二列目に座り、俺はミニバンをスカイツリーに向けて走らせた。道中のBGMは俺と黒崎で今日の為だけに作った特別仕様だ。世間に発表することを前提としていないから、本当の本当に好きなように作った。それを流しながら俺たちの移動は続く。

「ランちゃん、どこか遠いところにでも行くのかい?」
「あー、まぁおれたちの実家よりは全然近えよ」
「ランちゃん、それは全く答えになってないけど?」
「まぁすぐだ。すぐ」

 その会話に七海がおかしそうにくすくすと笑っている。わたしの実家よりは近いですか、だなんて彼女と黒崎の会話が始まるのと前後して、運転席の後ろに座った神宮寺から問いが飛んでくる。
 
「君さん。君さんは覚えてる?」
「日光江戸村のことならまだ覚えてる」

 意趣返しかい? 問われた言葉にまぁそんなところだと答えると「流石、君さん。執念の人だね」と揶揄うような声が返ってくる。そうだ。意趣返しだ。あの日。俺がまだ王冠の下僕だった頃。珍しく連休になった、昔々のあの日に神宮寺は俺を化かして日光江戸村に連れて行った。日常とさほど変わらない非日常を彼がくれた。まだ覚えている。その思いに報いたかったから俺は今ここにいる。その過去が神宮寺の中でも色褪せていないのだとしたら、恐悦至極という単語は今こそ使うべきなんじゃないかと思う。

「あ? 何だ?」
「君に看病してもらった連休の諸悪の根源の話だ」
「ああ、あれか」
「何だ、君も覚えてるのか」
「おまえが無断欠勤したのなんて後にも先にもあれっきりじゃねえか」
「若かったなぁ。いや、今も気持ちは若いつもりだけど」

 三徹でも四徹でも出来た。エナジードリンクが胃を荒らしても無茶が出来た。そのあと、泥のように眠れば幾らでも復活出来たのはいつまでだったか。最近は少し無理をするとそのあとが長引くようになったから、出来るだけ無理はしないようにしている。まぁ、それでも自分のスタジオで夜を過ごすこともまだ続いているのだが。
 そんな思い出を振り返る会話をしているうちに俺たちは目的地へと到着した。近衛宗主の手配したスタッフから指定された駐車スぺースに停めるとそこには一十木音也と来栖翔が待っている。

「レン、七海。もう少し『それ』外さないで」
「結局『それ』使ってるってことは黒崎先輩の読みの方が正しかったってことだな」
「イッキ、おちびちゃん。何だい? 今年は随分と手の込んだショーじゃないか」
「へへっ。そのまま、もうちょっとだけ我慢してくれよ」

 向こうでセシルと那月が待ってるから。
 言って来栖が七海の、一十木が神宮寺の肩を支えてゆっくりと歩き出す。

ハルさんと黒崎先輩は先に行ってくれよな!」
「王子様、お姫様は俺たちと行こう」
「は~い」

 そうして、神宮寺夫妻がエスコートされていく。駐車場から地上に出て、そのあとはツリーの入口へ。入口からは四ノ宮那月と愛島セシルがバトンタッチしてエレベータホールへ。エレベータの操作は寿が行って、あっという間に彼らは天空の展望室へ。それを見届けないで、俺と黒崎は美風が操作する別のエレベータで先に展望室に向かった。三基目のエレベータには一ノ瀬と聖川が待っていて、神宮寺家の子どもたちを誘う。そのエレベータの担当がカミュだ。途中の案内を終えた一十木と来栖もまた自身の操作で四基目のエレベータに乗る。
 そうして、350mの上空で俺たちは一堂に会する。
 消灯を求められた展望室は暗く、地上に無数に散らばった光点だけが輝いていた。まるで星の海のような光景を貸切って俺がしたかったこと、というのがあるとするなら、それはきっと原初の風景を原初の二人に見せたかった。ただそれだけだろう。
 展望室に到着して、アイマスクを外してもいい、と二人に告げるとそれぞれのやり方で視界を覆うものを取り除く。展望室の暗さはそれでも、二人には明るく映ったのだろう。少しだけ眩しそうに眼を眇めて、それでも遮るもののない光の海を見つめる。

「君さん。これは君さんが企画したのかい?」
「発案は俺だけど、『俺たち』全員の企画だよ」

 どうかな、気に入ってもらえたのなら嬉しいが。言って二人の背中を見つめる。神宮寺家の子どもたちは興味深いの上限を超えて、どうにも言葉にならないようだった。
 
「君さんって時々オレでも真似出来ないようなことを思いつくよね」

 そうは思わないか、聖川。
 避難誘導灯の灯かりを反射した神宮寺の横顔が振り返る。そこには永遠のライバルと一方的に決めつけた聖川がいて、困ったような顔で笑っている。日本を支える神宮寺グループと聖川グループ。その超巨大企業の御曹司である彼らをしても誕生日の為だけにスカイツリーを貸切る、だなんて発想はなかったらしい。思う人の為にヘリを飛ばせてもツリーを貸切るのとはまた別の発想だ、と二人の笑顔が含んでいる。いいじゃないか。別に。無理して借金をしたのでもない。近衛宗主の提示した金額は莫大だったが決して払えない額ではなかった。どうせいつか死ぬ俺の財産なのだから、有意義に使いたい。誰かの為に、だなんて遺す相手もいない。俺は八乙女と命運を共にして二人で無に帰すだけだ。
 だから。

「神宮寺君。王子様たちは俺たちと一緒に第二展望台にいるから、好きだけ七海君と過ごすといい」
「えっ?」
「いいだろ。君は今日だけはただの神宮寺レンで、自由に時間を使うといい。何かをしてもいいし、何もしなくてもいい。午前四時まで、君は自由だ」

 それが、俺からの誕生日プレゼントだ。
 そう、言うと神宮寺が目を瞠る。時計の秒針は休みなく動き、間もなく今日が終わることを告げる。

「神宮寺君。今年、一番最後に君を寿ぐもの、の座は俺がもらうよ。『誕生日おめでとう、神宮寺君』」
「君さん」
「来年もまたよろしく、親友」

 思い出はいつか消える。
 つらかった過去がいつか癒えるように、楽しかった今日もいつか色褪せる。
 消えないものなんてどこにもない。どれもこれも皆、朽ちる未来が待ち構えている。
 だから。
 「五摂家」として生きる宿命を背負った俺の今を永遠に出来るのなら。
 そこには色んな景色があってほしい。いつか忘れられ、消えてしまう二階堂 海晴の人生が誰かの中に残っていられるうちに色んな景色を見ておきたいのだ。
 そんな荒唐無稽なことを言うと世の中では精神異常者扱いをされるのが道理で、俺は黒崎と八乙女以外にこの話をしたことがない。全てを伝えなければ友ではないのか。全てを分かち合えないのなら友ではないのか。無限の問答を繰り返して、俺はその問いをこれ以上繰り返すのはやめた。

「ハニー、君さんは本当に毎年色んなものをくれるね」
「はい。ダーリン。じゃあ、ハルさんから贈られたプレゼント、大事にしましょう」

 それは、多分。神宮寺もまた通ってきた人生の道なのだろう。
 全てを明らかにされていない、という事実をお互いに認識して、知らなくてもいいと判じた。全てを知らなくても信じられると信じた。裏切られてもいい、信じたいと願った。その気持ちが互いに向いているのなら。人と人の一生は重なり合い、ときに離れ、そうしてまた出会うだろう。
 その巡り会いを貴べる仲間がこんなにも多くいるのだということを僥倖に感じながら、俺は王子様たちの手を引いて、第二展望台へと向かうエレベータに乗った。何のギャラを支払うわけでもない。だのに俺の希望を叶える手助けをしてもいい、と思ってくれた仲間がいることも、そう思わせてしまう神宮寺夫妻の人徳も、全てが奇跡的に折り重なっている。それを当たり前だなんてあぐらをかかなくてもいいことを教えてくれるこの時間こそが最高の返礼だと思う。
 いつか。
 いつか、お互いが失われるとき。
 慟哭の別れではなければいいな、と思いながら俺は第二展望台を駆け疲れて眠り果てた神宮寺家の子どもたちの寝顔を見つめている。忘れられない思い出なんて幻想だ。思い出は等しく皆消える。それでも。そうだとしても、忘れたくないのなら何度でも、何度でも繰り返し忘れたくない瞬間を再発見するしかないのなら。その為になら、俺はきっと何度もでも挑戦してしまうのだろうなと思いながら。