Chi-On

王冠の下僕

『糸井治五郎の休息』

 宮藤の忠告を受け、それでもなお無駄な自己主張をすることは自重出来る程度の理性が俺にも備わっていたらしい。「糸井治五郎」を無難に十パターンほどアレンジして俺は翌日の打ち合わせに臨んだ。
 サンプルを聴いた音響監督は四半刻ほど無言で何かを考えていたようだが、結局宮藤が最初に聴かせたものが一番イメージに合っていたので、これをベースにリテイクをしていこう、という無難な答えを紡ぐ。
 その最後に彼はこう言った。

「今、スタジオロケの部分を先行して収録してるんだけど、君、来る?」
「えっ?」
「台本読んでる? カンさんの説明は聞いた? 君、ドラム叩いちゃう人でしょ?」
「え、まぁ、はぁ」

 矢継ぎ早に紡がれた連続した問いのどれ一つとして否定要素がなかったので首肯する。一応、十代の頃は流行らないロックバンドのドラムを担当していた。あくまでも流行らなかったので俺のドラムのセンスは高が知れている。それでもドラムンべースなどを作ってしまうぐらいにはドラムという楽器が好きで、今も細々趣味で続けていた。
 宮藤がそれを音響監督に説明しているわけがない。
 宮藤莞爾というのは実力至上主義で売り込みは簡潔だ。この楽曲が使えるかどうか。それしか彼は尋ねない。モチーフが何で、どのパートのどの旋律が売りで、どう使ってほしいか。俺が説明してほしい全てを彼は割愛して営業する。
 だから、宮藤が「糸井治五郎」のドラムパートを本当に俺が叩いて作ったのだということを誇大広告してくれている、だなんて思うのは過ぎた夢想だ。
 音響監督はどの音も一様にシンセサイザーで打ち込んだと思っている。
 はずだったのに、彼は四半刻で俺がドラムを叩くと見抜いた。
 一流の人間と言うのは恐ろしい、と他人ごとのような感想が生まれたのが俺の精一杯だ。同時にこれが番組のメインテーマを張るという大業なのだということを知る。まるで俺の両肩には何か重石でも乗っているのではないのかというぐらいの重圧を感じた。
 その生まれて初めてのプレッシャーに必死に耐えている俺を他所に、音響監督はマシンを片付け、折り畳み式のヘッドホンを丁寧に畳んで俺の眼前に置いた。

「じゃあ行こうか」

 君だったら神宮寺君も「七海」ちゃんも問題ないよ。
 その最後の部分に俺の緊張のバロメーターは目盛りを振り切る。「七海」は主題歌を担当すると聞いている。収録の現場に行けばいつかは会えるかもしれない、程度のことは思っていた。それが昨日の今日だなんて誰が考えるだろうか。考えなかった俺が馬鹿なのか、考えるやつが馬鹿なのか。それでも現実の方からやってきたのだから、やはり馬鹿は俺か。
 逡巡している間にも音響監督は出立の準備を進める。
 マシンとヘッドホンを慌てて鞄に放り込んで、会計を終えなければならない、と気付いた頃には彼が既に経費で領収書をもらっていた。

「すみません、気が回らなくて」
「ユミ君、こういうの慣れてないのバレバレだよ。まぁ、ツモ君もそんな感じだったからそれが君んとこのカラーなのかもね」
「はぁ」

 ツモ、というのはもう一人の「王冠」の作曲家で俺の先輩だ。フルネームは松本御前(まつもと・みさき)なのだけれど、例によって例のごとく宮藤がマ「ツモ」トで区切ったので、ツモと呼ばれている。
 今年不惑になる、と聞いている彼も売れない音楽家の一人で、五年ほど前にホームドラマの音響をしたのが一番大きな仕事だそうだ。それでも俺の目からすれば十分すぎるほど業界慣れしている。よくよく思い出せばその一番大きな仕事の音響監督も俺が今対面している彼だった。

「ツモさんも緊張するんですね」

 カフェを出る。スタジオはここから十分程度の距離だったから二人並んで歩いた。先の失態を挽回するべく緊張感とどうにか決別するように努める。
 世間話ぐらいは人並みに出来る、と自己主張したかったのかもしれない。
 松本は鉄面皮というわけではないが、良くも悪くも感情の起伏に乏しい。俺の前で彼はいつも泰然としているので、松本に緊張という概念があると聞くのは真新しかった。
 珍しい話を聞いた、と言の葉に載せると音響監督はきょとんとする。

「あれ? ユミ君、知らないの?」
「何を、でしょうか」
「カンさんもね、君たちの音楽を持ってくるとずっとしかめっ面してるよ」
「カンさんが?」

 松本にしろ宮藤にしろ、俺からすれば手の届かないところにいる大先輩だ。百歩譲って五年前の松本が緊張するような脆さを持っているということを受け入れるとして、宮藤にまでそんなものがあるのだと言われると俄かには信じがたい。
 俺は思わずオウム返しで訊いてしまった。

「信じる信じないは君の自由、かな」

 音響監督は俺の非礼を指摘することもなく、器用に片目をつぶって見せる。業界人というのは概ねこの手の茶目っ気を持っているものだから、その点では今更怖じることもない。
 そうこうするうちにスタジオに到着した。
 いよいよ、この中に本物の「七海」がいるのだ、と思うと体が硬くなる。音響監督はそれを見抜いたらしい。

「ユミ君。『七海』ちゃんのこと怖がんないでよ」

 本当にね、僕なんか及びもつかないぐらいいい子だから。信じてあげて。
 その言葉の向こうに「神宮寺レン」を警戒している俺の猜疑心が映っていた。
 エレベーターの扉が開く。乗り込む。二人きりの空間で音響監督が苦笑した。
 人生三十年と少し。この業界で仕事をし始めて八年。年下の天才たちがどんどん世に出ていくのを指を咥えてみていた。宮藤はそれでも何も言わずに俺の作品を持って、毎月営業に出てくれる。いつかは君の音楽が表舞台に立てたらいいね。それしか言わない。
 そんな俺に引き換え、彼らはどうなのだ。
 昨晩、徹夜でアレンジを打ち込みながら俺は妬んでいた。
 トップスターの座を確約されたデビュー。それに続く栄華を極めた道筋。俺はその一人をより一層輝かせるためだけの舞台装置だ。
 わかっている。俺は天才音楽家にはなれない。ST☆RISHの音楽を生み出す「七海」には遠く及びもつかない。それでもこの業界にいることを選んだ。だから身の振り方ぐらいは知っている。そのぐらいの分別はどうにか持っていた。

「怖がってるわけじゃないんです」

 ただ、「七海」を見て自分に絶望したくないだけだ。
 世間ではそれを「怖がっている」と称することも知っている。
 それでも。

「俺の治五郎に勝った人に会うのはやっぱり気が引けます」
「大丈夫だよ、ユミ君」
「何がですか?」
「『七海』ちゃんと話せばいい。そうしたら君もきっとわかる」

 「七海」ちゃんは僕たちが持っていないような底抜けの優しさを持っているから。
 音響監督という立場にあれば裏も表もありそうなものなのに、彼は晴れやかに笑った。

「それにね、ユミ君。神宮寺君もなかなかだよ」
「何が、ですか?」
「君のムンベを推したのは神宮寺君なんだ」

 その言葉が出るのを見計らっていたかのように俺たちを乗せた箱が目的階に到着する。軽いチャイムが鳴って扉が開いた。音響監督が箱を降りる。俺は慌ててその背を追った。
 収録をしているスタジオ、というのは一番奥のようでぐるりと長い廊下を歩きながら、俺は自問自答を繰り返す。答えなど出る筈もない。それでも俺は問いを重ねた。そうしていないと、俺が今から向き合う現実に呑みこまれると思っていたからかもしれない。
 昨晩、俺は神宮寺レンのプロフィールをwebで検索した。今まで彼が出演した作品も少しは流し見たし、彼が歌った楽曲も幾つかは聴いた。多くは同じ偶像で俺はその姿には興味がなかった。男の俺でも――いや、男だからこそわかるのかもしれない、神宮寺レンは俺がどんなに逆立ちをしても敵う次元を超越している。だから、「興味がない」のだ。俺がもう少し男前だったら、とか、俺がもう少し立ち居振る舞いを変えれば、とかそんな仮定を悉くぶち壊す。世間でも概ねそういう評価がされている、というのを知って俺は納得した。
 これは「理想的な男性アイドル」という名の標本だ。
 なのに。
 そういう安っぽいレッテル貼りをした相手が俺の音楽を推した、という伝聞一つで俺の脳漿は困惑している。フェミニズムの化身である神宮寺レンが男の俺の肩を持つわけがない。俺の音楽が評価されたのか、と一瞬考えてすぐに否定した。この業界での俺の通称は何だ。「ユミちゃん」だ。誰が俺の本当の名前が岸田歩(きしだ・あゆむ)だなんて覚えているだろうか。クレジットには確かに残る。それでも、万にひとつ、俺の本名の字面を覚えていたとして、誰がそれを発音するだろう。俺たちの営業をするのは宮藤で、彼は決して俺を「アユム」とは呼ばない。
 俺は業界では「ユミちゃん」だ。
 神宮寺レンは俺を女と思ったのだろう。
 何だ、ただの勘違いか。
 そう結論付けて俺は自分自身に失望した。女に間違えられなければ才能を披露する場所すら与えられない。宮藤がそれを狙っていたのかどうかは定かではないが、今からスタジオに行き、神宮寺レンと対面すれば現実は露呈する。彼は二度と俺の音楽を推さないだろう。
 溜め息しか出てこない。
 それでも、今更この場を辞去し、事務所へ帰る、という選択肢は残されていなかった。
 運命を呪いながら俺は音響監督の背に続いて、スタジオの一つに入る。出入り口付近にいた関係者に軽い挨拶をしなが照明の中が見える位置までくる。セットは取調室、のようだ。狭い箱の中に俺の音楽を推した男性アイドルの理想形の姿が見える。
 その真摯な眼差しの奥に、カメラの外側からではわからない「何か」が映っていた。
 答えが出ないまま、監督のカットの声が聞こえる。スタジオの中が喧噪で湧いた。

「ユミ君、『七海』ちゃんに紹介するね。こっちこっち」

 束の間の休息を満喫する雰囲気の中、音響監督が俺を呼ぶ。天才音楽家と言うのはどんな風格があるのだろう、だなんて身構えながら手招きに応じれば、その先には意外な人物がいる。

「監督」

 来られてたんですね、と言ったのが小柄な女性。その後ろに彼女を守る騎士のような顔をした神宮寺レン。先ほどまで取調室で見せていたのとは違う緊張感に俺は何とはなしに二人の関係を察した。それでも、確証はなかったから仮定として認識する。
 音響監督が俺と女性を交互に指さし、紹介する。

「『七海』ちゃん、これがムンベのユミ君。ユミ君、こちらが主題歌の七海春歌ちゃん」

 それと、これは多分必要のない説明だけど、と前置きして彼は「七海」の後ろの男を指した。

「ST☆RISHの神宮寺君。君のムンベに一目惚れした可哀想なアイドル、だね」

 その説明に神宮寺レンの麗しき表情が曇る。
 作曲家の俺を見たら評価をひっくり返されるのじゃないか、だなんて柄にもなく緊張したのに、彼は柔らかな笑みを見せた。まるで少し大きな猫がくすぐられているような大らかな笑みに、俺は内心どきりとする。俄かに集めただけの俺の資料にこの笑顔はない。
 予想外の展開にどきまぎする俺を他所に三人は盛り上がっていた。

「監督、その言い方じゃまるでオレがわがままを言っているみたいじゃないか」
「あれ? 『王冠のムンベじゃないならオレは降りる』って言ったの誰だったかなぁ」
「神宮寺さん、本当に王冠が大好きなんですね」

 「七海」が微笑むと神宮寺レンもそれに合わせて穏やかに表情を崩す。
 好きだよ。王冠は別格だからね。
 神宮寺が何でもないことのようにその言葉を紡ぐのを俺は信じられない気持ちで聞いた。
 でも、と更に彼は言葉を続ける。
 
「カンさんの感性が好きなだけさ。その『ユミ君』さんもカンさんの弟子じゃなかったらオレは一生出会ってないね」

 そうだろう、だなんて挑発的に問われて俺は首肯するべきか否定するべきか、一瞬答えに迷う。確かに宮藤は俺の音楽の師だ。俺には俺の音楽に対する自負があるけれど、宮藤の影響を受けていないか、と言えば答えは間違いなく「NO」だ。松本にしてもそれは同じだろう。宮藤の音楽は存在感がとてつもない。だのに出しゃばりすぎず、控えめすぎず絶妙に調整されている。そのある種、神がかった配分に俺も松本も惚れ込んでいる。
 神宮寺レンの言葉は俺の音楽にもその神聖性の一部が備わっている、と遠まわしに含んでいた。宮藤のものではない。けれど宮藤の感性を継いだ。そう、言われて嬉しくない音楽家がいるのなら、それはきっと拝金主義者だけだろう。

「神宮寺さんが推してくださった、というのは本当ですか?」
「子羊ちゃんが持って帰ってきたサンプルに理想の音楽があったのは事実だね」

 「子羊ちゃん」が七海のことだと気づくのに特別の説明は必要ない。フェミニストの神宮寺レン。但し、彼はファンの女性たちを「レディ」と呼ぶ。だから、神宮寺レンにとって七海は特別な存在なのだろう。それが「ST☆RISHの音楽家」という意味なのか、この世に一人しかいない女性という意味なのかを勘ぐるのは野暮だったから胸中で思うだけに留める。
 七海がシャイニング事務所に俺の音楽を持って帰った、というだけでも俺は眩暈がする思いだ。宮藤が持ち出して音響監督に売り込んで、商売敵の七海の手に渡った俺の音楽は彼らの耳にどう聞こえたのだろう。
 その答えを俺はもう知っているのも同然なのだけれど、敢えて意地悪な質問をした。

「では私の音楽を推してくださったのは七海さんですか?」
「わっ、私はただ、素敵な音楽だなぁ、って思っただけ、です」

 ユミさんの音楽をもっとちゃんと聴きたいなって思ったので事務所に持って帰ってしまいました。ご迷惑だったでしょうか。
 俯きがちにそう釈明した彼女を庇うように神宮寺レンが一歩前に出る。

「誰かを戦犯に仕立て上げたいなら、ボス、だね。そう思うだろ、子羊ちゃん」
「日向さんかもしれませんよ?」
「イッチーだって黙って聴いてたじゃないか」
「じゃあST☆RISH全員が戦犯ってことにしましょう」
「僕の意見も含めてほしいな」
「監督も?」

 そう僕も。そうやって俺の音楽のことで、俺を蚊帳の外に置いて話が盛り上がっていくのが耐えがたくて俺は降参のポーズを示す。

「ああ、もう、いいです。俺が間違ってました」

 誰が俺の音楽を推したか、だなんてそんなことは些事だ。俺の治五郎は活躍の場を与えられた。これから先、治五郎には苦難が待ち構えているだろう。最後の最後に俺の治五郎は原型を留めていないかもしれない。普通の事務所ならそれに首肯しろと言われるだろう。
 けれど。
 俺は宮藤から矜持を守る権利を与えられている。
 原型を留めないアレンジをするぐらいなら仕事を蹴ってこい。宮藤は言外にそれを許した。
 だから。

「俺の音楽を推したのはあなただと信じます。あなたなら七海さんに音楽を一任することが出来たはずだ。なのにそうしない。なら、きっとあなたの中に俺の治五郎が届いたということです」
「治五郎?」
「あなたが惚れたドラムンベースのタイトルです」

 糸井治五郎の苦難。
 そう名付けた六曲の組曲。その中で一番気合を入れて作ったボッサは採用されなかったが、それは七海の後輩が引き受けている。七海が主題歌を作る以上、その後輩は中途半端な気概で代わりの曲を作るはずがない。
 最初からわかっていた。シャイニング事務所というのはそういう品質を保つ事務所だ。
 だから。
 俺よりも優れたボッサを作れる人間がいることを嘆いても意味はない。それが悔しいのなら俺はもっと努力をするほかない。松本も宮藤もそうやって王冠の音楽を作ってきた。
 宮藤が意味のない仕事を引き受けてきたことはない。
 フェミニストで男には興味がない。遊び上手で本気になんかならない。
 それが神宮寺レンの偶像だ。
 それでも。

「俺はあなたを信じられる。あなたに俺の音楽を預けたい」

 神宮寺レンの足手まといにはならない。
 きっと。
 必ず。
 俺の音楽はこの番組に必要な舞台装置の一つになる。
 その自負があったから、俺はよろしくお願いしますと身を折った。
 神宮寺レンが困ったように笑う。

「オレ、そういうの得意じゃないんだ」

 そういうの、というのが馬鹿正直の真っ向勝負だということは言われずともわかる。
 齢三十にしてやることではない、という自覚があったからだ。
 それでも、俺にはそれぐらいしか誠意の表現が思いつかない。宮藤や松本がそうしてきたように、俺は音楽を作ることしか出来ない旨を伝える。神宮寺レンが年相応の若僧の顔をした。

「俺もそれほど得意ではないです」
「じゃあ、それ、やめてくれないかい」
「それ?」
「ユミ君さんの方がオレより年上だろう? 馬鹿丁寧にされるのは逆に馬鹿にされている気がするんだ」

 それとも、本当に俺のことなんて侮ってる?
 そう問われて瞬間的に表情で反論した。音響監督が悪戯げに笑い、七海が嬉しそうに両の瞼を伏せる。
 
「ユミ君。君の負けだね」

 そうみたいですね。苦笑交じりに返すと場の雰囲気が緩く溶けた。
 七海が呆れるぐらいの笑顔で言う。

「岸田さんはきちんとした方なんですね」

 きちんとしているかどうかは俺自身自覚していないけれど、世間と接すると概ねその評価になるのは知っている。それがいい意味でも悪い意味でもあることも知っていたから、俺は極力宮藤を経由して世間と関わることにしていた。ただ、それは未来永劫続く手段ではないことも知っている。宮藤は俺よりも二回り年上だ。彼はいつか、そう遠くないいつかに俺たちのゼネラルマネージャーの座から降りるだろう。その時までに宮藤の代役を見つけてくれる。口約束ではそうなっているけれど、俺はそれを信じていない。宮藤の代役などこの世には存在しない。宮藤は、どこまで行っても宮藤だ。だから。俺もいつまでも舞台裏でこそこそと逃げ回っているわけにはいかないだろう。
 これはそのきっかけの一つだ。
 目の前にいる三人は俺の言葉を待っている。
 その三対の瞳に映っているものを俺は信じられる、と直感した。
 信じたのなら、それを行動で示さなければならない。そうしないで、気付いてくれないなどと不貞腐れるのは子どもでも出来る。
 だから。
 俺は敢えて自分の中で他人に見せるべきではない、と判じた独白を紡ぐ。

「作品が良ければ人間性は問わない、なんていう人の方が多いけど、そんなのは言い訳だと思います」

 作っている人間と作られた作品の間に因果関係があってはならない、と言う人もいる。
 でも、と俺は思うのだ。
 その人間の中にあるものの一部を表出させたものが作品だ。美しい面だけを作品にしている人も、美醜を問わず自分の中のものを全て作品にしている人もいる。どちらも間違ってはいないし、それに優劣をつけるべきではない。
 それでも。
 俺は素晴らしい作品を生み出すのなら、その人にはきっとそれだけの本質が備わっているのだと信じたい。
 たとえばそれは浮ついた表面を纏い、けれど誰よりも真摯に役を演じている神宮寺レン、なのかもしれない。

「そりゃ、ユミ君の傲慢だね」
「知ってます。だから、俺はそんなこと今まで誰にも言ったこともない。でも」
「でも?」
「神宮寺さん、あなたは多分同じことを思っているような気がする」
「どういう意味だい?」
「あなたが傲慢だとか、そういうことじゃなくて。あなたにとって作品から受け取れる人間性というのには意味があるのじゃないか、ということを言いたいんですが、上手く説明出来ません」

 とんだ買い被りだね、と神宮寺レンが瞼を伏せる。その口元が緩やかに吊り上がってたのが妙に印象に残った。本当は俺の言っていることが伝わっているんじゃないか。そんな予感が去来する。
 その正否を質す前に収録再開の声が響いた。
 音響監督と七海と俺。並んでスタジオの壁側に置かれた椅子に座る。
 神宮寺レンの瞳の奥に映っている何か。その正体はまだ知らないけれど、作り上げられた偶像よりもいっそう魅力的な何かを感じる。
 俺の音楽は彼を輝かせる舞台装置になれる、とまだ信じている。
 だから。
 頭の片隅でずっと引っかかっていた「糸井治五郎の休息」に別れを告げる。
 俺が次に神宮寺レンに会うのはこの日から半年後。身内だけで極秘に行われた彼の結婚式の参列客の一人としてだった。
2014.01.11 up