All in All

11th. 新しい始まりの場所

 努力は裏切らない。重ねてきた研鑽は人を育てる。
 それが、たとえ自分の身に起きた出来ごとでなくとも人は一緒に喜びを分かち合うことが出来るのだと十二歳の常磐津千尋は知った。
 関東大会のレギュラーを決める選抜戦の最終日、千尋は柳蓮二と徳久脩(とくさ・しゅう)が割り振られたリーグのスコアラーを務めていた。徳久の実力と伸び幅は同じ特待生である千尋が一番よく知っていると思っていたが、実はそうではなかったらしい。三年生の先輩も二年生の特待生も軒並み負かして五勝無敗。落としたゲームの数は二桁だが、それでも全勝という成績は大きい。幸村精市、部長の次である三位の座を得るのはほぼ間違いがなかった。タイブレークで勝った試合も幾つかある。ぎりぎりのプレッシャーを全部はねのけた徳久の選手としての成長を嬉しく思いつつ、次に戦うまでにどんな努力をすれば置いて行かれないだろうか。そんなことをふと思った。
 感傷という名の千尋の小さな憂鬱を吹き飛ばしたのは、柳の試合だ。
 快勝というには少し足りないが、柳もまた着実に勝ちを奪い取っていく。勝った充足は選手を育てる。千尋の煽り文句を柳は彼自身で実証した。県大会のシングルスの試合で得た「勝つイメージ」が柳を今までよりずっと強くした。その戦績が柳の自信を支える。二年生の特待生の先輩にも一歩も譲らず、徳久に付けられた一敗以外は全て勝った。
 千尋の知っている柳とは違う。データの分析に基づいた判断でポイントを重ねた。一ポイントずつ記録していくと、柳はどこにどんなボールが返ってくるのか、本当に予測しているのがわかる。先輩の返球位置には必ず柳がいる。先輩が勝ちを焦ってミスをするか、決定的な隙が出来るまで柳は防御の手を緩めない。圧倒的に相手を打ち負かすスタイルではないから、試合を見守っている最終リーグ進出者ではない部員たちが喝采を起こすことはないが、千尋は柳のデータテニスの価値を知った。
 柳のしていることは決して無意味ではない。その答えが千尋を励まし、目の前で繰り返される試合を見ているだけでも学ぶことがあるのだということを教える。
 審判が柳の勝利を告げる。細められた眦のその下で、柳の手ごたえが確かに輝いているのを千尋は見逃さなかった。
 結局、最終リーグは無敗が三人。幸村、部長、徳久の三人がシングルスとして堂々の成績を残す。四位に錦先輩、続けて真田弦一郎、柳、そして副部長が入り、レギュラーが確定した。この七人で関東大会と全国大会を戦っていく。レギュラーに一年生が四人もいるのは立海史上初めてのことらしく、部内には驚きが充満していた。
 その結果を千尋は複雑な思いで噛みしめる。怪我がなければ自分も称賛される方にいたかもしれない、というもしもの話をする気はもうない。スコアラーの仕事はこの三日で随分板についてきたと三年生の女子マネージャーに評価された。余計なことをしていると叱られるのを覚悟していた「一言」についても苦言を呈されることはなく、寧ろ今後も続けてほしい、と言われたその段階になって、千尋はようやく関東大会もスコアラーとして試合を見守る権利が与えられたことを知った。
 ドクターストップを受けた期間は残り一週間。それが終われば千尋も練習に戻れる。幾つもの試合を見てきた。柳のデータほどではないが、千尋もまた試合の中から学び取ることがある。それらを生かすことが出来れば、選手として成長するだろう。
 そんな小さな希望を見出しながら千尋はレギュラー選抜戦の終わりを意味する解散の声を聞いた。
 自分の気持ちを誰かに託してコートの外側にいる。託した相手のことを信じると言葉でいうのは簡単だ。ただ、信じるというのは言葉でいうよりずっと難しいことだと知った。それでも千尋は信じてみたいと思う。信じられる。だから何かを行動することで変わろうと思った。
 一つ目の変化は一学期の期末試験で形になった。431。半分のボーダーをクリアしたその数字を見て、千尋は改めて柳たちの偉大さを知る。何が変わったという実感はない。ただ、努力は自分を裏切らないことを実感した。柳に課された毎日四ページの漢字練習。幸村に課された英単語の書き取り。真田に課された小学生向けの計算ドリル三単現。毎日欠かさずやってきた。たったそれだけのことだ。たったそれだけのことから逃げていた。そのことを知って、そんな千尋に出来ることを示してくれた三強のことを尊敬しながら中学一年の一学期は終業式を迎えた。
 二つ目の変化がやってきたのは千尋の療養期間が終わった頃のことだ。

「よう、常磐津。お前、もう大丈夫なのかよぃ」
「よかったら我々と一緒に、基礎練習から復帰しませんか?」
「何じゃ、その鳩が豆鉄砲食ったような顔は。俺らが話かけるんは迷惑かい」

 夏休みが始まって、殆ど毎日のように通しで練習に明け暮れる。包帯の取れた千代由紀人(せんだい・ゆきと)と二人で久しぶりにウェアを着てコートに立つと、今まで遠巻きに見ているだけだった同級生の部員から声がかかる。誰だろう。考えて一拍遅れて、やっと名前と顔を一致させた。

「丸井」
「と柳生と仁王、だっけ」

 二人分の記憶を手繰って、かろうじて出てきた名前は間違いではなかったらしい。三人はめいめい頷いて千尋たちが気取っていたわけではなかったのだ、と納得している。気取っている、と思われていたのか。そんなことをぼんやりと感じて自分自身のことを振り返る。自分たちから彼らに話しかけるでもない、敬遠されるなら仕方がない。一方的にそう思って諦めていたのが相手に伝わっていたのかもしれない。だとしたら、やっぱりそれは千尋たちが気取っていたということになるのだろう。
 そんな理屈がわかるぐらいには千尋と千代も精神的なゆとりがあった。
 テニス部に入部して三か月。丸井ブン太とは以前、一言だけ会話をしたことがあるが、それは多分交流に数えるべきではない。だから、千尋たちと彼らは今が初対面に近い。
 何から話すのが正しい人間関係なのだろう。
 考えて、その問いに最適解は存在しないことを知る。
 だから。

「リハビリ、付き合ってくれんのかよ」

 おずおずと問う。千尋の質問の形をした確認に同級生の三人はそれぞれ性格の表れた顔つきで肯定を示す。なんだ、同級生ともちゃんと話せるじゃないか。そんなことを千代と視線でやりとりする。
 丸井が屈託のない笑顔で確認を確認する。彼の背後で柳生比呂士が眼鏡のブリッジを指先で持ち上げる。癖なのだろうか。不意にそう思ったが、その答えも千尋の中にはない。
 千代と二人、困惑が好奇心へ変わる。
 千尋たちの心境の変化を知ってか知らずか三人は言葉を重ねた。

「そういってるんだけどぃ?」
「お二人が親しい幸村君たちは大会に向けた練習で精一杯。ワタシたちが相手では役者不足かもしれませんが、どうですか?」
「基礎練ってそんなに役者の腕前、関係あったっけ、キワ
「反語かよ。わかってるなら素直に答えたらいいじゃねーか」
「いや、俺が思う基礎練じゃないのかもしれないし」

 千代がどの基礎練習を思い浮かべているのかは断言出来ないが、多分、千尋たちのリハビリになるような基礎練習にそれほど幅はない。わかっていて言葉遊びをしている千代の国語力は圧倒的ドベの世界から逸脱した。それがわかる千尋もまた圧倒的ドベではなくなったのだろう。
 そんな変化を感じながら千尋は千代と顔を見合わせて、どちらからともなく破顔した。

「ダイ、それならそれで面白いだろ。混ぜてもらおうぜ」
「ま、キワがそれでいいならいいけど」
「言ったな? 言ったよな? よし、じゃあ二人とも俺たちのコート来いよぃ」

 言質を取ったと何度も確かめて、心底嬉しそうに丸井が六面ある中で一番手前の一年生しかいないコートへ導いていく。そこには丸井たち三人だけではなく、他の一年生もいて、あからさまに敬遠している態度を取るものも少なからず存在したが、丸井、柳生、仁王雅治と続いてやってきた時点でどこか諦観の態度を見せた。
 その態度は複雑で、畏敬の念と共に場違い感も併せ持っていたが、どこかぎこちない歓迎の気持ちも確かに含まれている。理屈でなく、雰囲気でそれを感じた千尋と千代は自分たちの悲壮感がただの自意識過剰だったのを知った。そして同時に彼らとは距離を取ったまま、二人きりでリハビリをしようとしていた自分たちの思慮の浅さを反省した。
 だから。

「今更だけど、常磐津千尋。女みたいな名前だけど男です」

 よろしく、と言うとコートに残っていた緊張感が親しみに変わる。知ってる、だとか、本当に今更だな、とか、千尋ちゃんで美少女だったらよかったのにな、とか色んな声が聞えた。冗談を言っても大丈夫だ、と思われたのが何となく嬉しくて、でも、誰もまだキワとは呼ばないし、その名前で呼ばれたいとも思わなかった。
 千代も同じように自己紹介を終えると仁王が二人の背中を叩く。

「練習、するんじゃろ? コートに入りんしゃい」
「いや、あの、仁王、俺たちまだ準備運動が終わってないんだけど?」
「何を言うとるんじゃ、当たり前じゃろ。今から全員でするんぜ」
常磐津君たちは向こうのコートばかりだったから知らないのですね。このコートでは準備運動から基礎練習までお互い助け合ってやるのが普通なんです」
「というと?」
「ストレッチするだろぃ? 外周走るだろぃ? 素振りするだろぃ? で、それが終わってやっとボレーボレーで、それが終わったらラリー」

 ラリーは一つのコートに二組ずつ入ってお互いがクロスしか打たない、それを順番交代でする、というのが丸井の説明だった。
 そんなものか、と千尋は思う。六面あるコートのうち三面はレギュラーが使っている。残りの三面で、それぞれを学年毎に割り振れば当然、一人の練習時間は少なくなる。千尋と千代は今日、基礎練習をして終わっても、幸村たちと一緒に自主練が待っているからボールを触っている時間が圧倒的に長い。特別扱いだ。それが当たり前だと思っていなかったか。十把一絡げに扱われている部員のことを忘れていなかったか。思い返して自らを恥じる。千尋の当たり前は丸井たちの当たり前ではなかった。溝があって当然だ。優れた選手を優先的に育てるのは理に適っている。それでも、優遇されなかったものがどんな気持ちでいるか、その気持ちをどうやって割り切って応援に専念しているか、そんな当たり前のことを想像したこともない自分が心底無神経だったことに気付いた。
 他の誰かに思いを託して勝つのを見守ることしか出来ない。
 自分には出来ないプレーを見て、仕方がないと諦めるしか出来ない。
 その歯がゆさを二週間味わった千尋だからやっとわかった。
 遅いかもしれない。十分、溝は深まったかもしれない。
 なのに丸井は、柳生は、仁王は千尋たちに声をかけた。
 その勇気と決断は多分、千尋の中にはない。人の価値は複雑な側面を持っているのだと知って、千尋は不幸な自分に酔っていた自分と今度こそ決別出来ると思った。

「丸井、ストレッチのメニューって何やるんだ?」
「何って普通だけどぃ」
「取り敢えず、座ればいいのか?」

 その問いに丸井は頷く。前屈から始まるからそれでいい、と言われて千尋は自分たちが組んだメニューとは少しずつ違っているのを実感した。
 千尋の納得など知らない丸井が隣に立って尋ねる。

「お前、やっぱ千代と組むのかよぃ」
「いや、迷惑じゃなかったらお前と組んでもいいか」
「俺? 俺でいいわけ?」
「うん、お前いいやつだし、お前がいい」

 お前が迷惑なら柳生でも仁王でもいいけど。言葉を重ねると丸井が迷惑ではないと否定する。そして彼が千尋の背中の向こうでしゃがむのが気配で伝わった。
 千代は仁王と組むことで決着したらしく、二人が千尋たちの横に座る。柳生は別の一年生と組むのかネットの反対側へ向かった。
 ストレッチの合図をするのは持ち回りになっているようで、今日は丸井が声を出す。この三か月弱で慣れ親しんだ順番とは違う、それでも内容は大体同じストレッチだった。順番と声が違うだけでこんなにも新鮮さがあるのだということが千尋にとっては一番衝撃的で、ロードワークをしながらその旨を丸井に伝える。すると彼は表情を輝かせて言った。

常磐津、お前もいいやつじゃねぇかよぃ」

 なぁ、お前らもそう思うよなぃ。
 癖のある語調で丸井が周囲に同意を求める。一年生の多くが苦笑した場面で、仁王が眉一つ動かさずに言った。多分、仁王の意見が総意で、丸井のように屈託なく笑える方が珍しいのだということは千尋にもわかる。

「ブンちゃん、お前さんの警戒心のなさには本当に呆れるのう」
「警戒心がないって言うならこいつもじゃねぇかよぃ」
「俺? 俺はトリ頭だからな」
「そうそう、キワはトリ頭だから」

 指された千尋はいつも通りの開き直りを見せる。千代が他人ごとのように肯定したが、仁王はそれにも苦い感想を提示する。

「千代、お前さんもそのトリ頭といい勝負だと思うんじゃがのう」
「言われてやんの」
キワ、わかってるか? 俺とお前。仁王に馬鹿にされてるんだけど」
「問題ない。俺は正真正銘の馬鹿だ」

 学力ねーし、計算とか出来ねーし、合理的な判断なんて出来ねーし、打算とか無理だし。
 指折り自分が持たないものを挙げると今度こそ千尋の周りが笑い声に包まれた。
 穏やかで円満な笑い声を一身に受ける千尋と千代だけがその理由を知らない。どうして、自分たちは笑われているのだろう。考えたけれど答えが出ない。
 人が真面目に言ってんのに何だよ。どこかで聞いた台詞が口に上る。

「すみません、常磐津君。あなたたちを笑っているわけではないんです」
「そうそう、俺たち身構え過ぎてたなーって」
「お前さんたちが馬鹿なら俺たちも十分馬鹿じゃのう」

 返ってきた言葉もまたどこかで聞いたような内容だったが既視感を覚えるだけで、答えには辿り着かない。ただ、千尋も千代も既視感の答えに辿り着かないことにもどかしさを感じる性分ではなく、場の空気が和んでいることの方を重視した。

「打算が出来んくせに試合が始まったら駆け引きの出来るお前さんが羨ましいと俺は思うぜよ」
「うん、俺も自分で不思議だと思ってる」

 理屈はわからない。ただ、コートの上に立てば千尋は自然とポーカーフェイスを繕えるし、相手と心理戦をする為の判断に迷うことはない。なのに日常生活ではその片鱗は一切現れず、三強は千尋の言動で溜息を零す。
 そのことを半ば他人ごとのように語ると仁王はますます面白そうに笑った。

「お前さん、本当に器が馬鹿みたいにでかいか、じゃのうたら本物の馬鹿じゃのう」
「なんでまたお前らは器うつわ言うんだよ。俺の器が大きかったら何があるんだ」
常磐津、お前さん、誰に器の話されたんぜ?」
「蓮二――柳だよ」

 そうかい。ならそいつも目が肥えちょるゆうことじゃ。
 言って仁王は言葉を切った。続きがある気配はない。多分、彼は今、千尋の言葉を受けて自己完結した。その仔細を聞くには千尋と仁王の距離感は遠く、浅い。いつか、彼の言葉の意味に千尋自身が見当を付けられたら。そのときには答えを尋ねてもいいだろうか、と千尋もまた勝手に結論を出して、答えの出ない器の大きさ談義を聞き流した。
 外周を走りながら会話は続く。先頭グループに位置した千尋と千代の呼吸は安定している。このペースでいいのだろうか。ふと振り返ると後方グループが遅れ始めていた。千尋の隣を走る柳生が速度を落とそうとした千尋に気付いて「常磐津君。そのままで」と言ったので後ろ髪を引かれる思いを残しながらもペースを維持する。
 今、先頭グループにいるのは千尋と千代、それから柳生、丸井、仁王の五人だ。
 その結果を認識して、千尋はどうして自分たちに声をかけてきたのがこの三人だったのかがわかったような気がした。
 
「なぁ常磐津

 斜め左後方を走る丸井が不意に千尋の名を呼んだ。

「何だ、丸井」
「俺、ボレーボレー苦手なんだけどよぃ、コツとかねぇの?」

 お前ら全部そつなくこなすだろぃ。昔から全部出来のかよぃ。
 そんな質問が飛んできて、千尋は千代と瞬間、視線でやり取りした。

「お前らってさ、ボレーどうやって練習してんだ?」
「丸井、ボレーボレーは下手なやつ同士でやると余計に苦手感あるの、知ってる?」

 千代の逆質問に丸井が「はぁ?」と間抜けな声を上げる。

「えっ、何だよぃ、それ」
「ボレーに限らねーけどさ、初心者の頃にみんな通るんだ。自分より上手い相手と組ませてもらったらコツとかわかるんだけど、初心者同士でやると、上手くいかないから、どうしても苦手意識強くなるんだよ」
「だから、丸井も上手いやつと組めば――」

 何が出来ないのかがわかる。そう言おうとした千代の言葉を最後まで聞かないで、丸井が千尋と柳生の間に割り込んできた。

常磐津! じゃあ俺と組もうぜぃ!」
「じゃったら、千代は俺が先に予約するぜよ」
「それではワタシは誰と組むのですか」

 特待生、三強を除いた一年生の一般部員の中では上位層に当たる丸井たち三人に対して、彼らが技術を盗もうとする対象は千尋と千代の二人だけだ。一人足りない。どうすれば円満に解決するのだろう。千尋の頭の中が混乱した。
 思考停止した千尋の隣で千代が溜息を吐く。

「三人でローテーションしたらいいだろ。見るのも練習」

 関東大会が終わって、全国大会も終わって。そうなるまで、千尋たちはレギュラーたちが練習しているコートには戻れない。選抜戦を辞退した以上、千尋たちが持っている順位は前回の数字ではない。全戦不戦敗のゼロで、順位でいえば最下位だ。だから、千尋たちがどれだけ情状酌量の余地を訴えても、その結論に基づいたコート配分は変わらないし、そんなことをしたら特例の前例を作ることになる。
 わかっている。千尋たちはあと一か月近く、一年生のコートで頑張るしかない。新人戦のレギュラーになれば上のコートが使える。それまでに技術を磨いて、四人に置いて行かれないように善処することしか出来ない。
 だから。
 一年生のコートで苦戦している丸井たちと一緒に苦戦するのも練習のうちだ。人の失敗や欠点を見て、自分の武器や弱点を見極める。
 千尋の中で言葉にならずにぐるぐると回っていたことを千代が二言で表した。
 感嘆の声が漏れる。

「ダイ、お前頭いいな」
キワ、お前はもっと普段から頭使えよ」
「お前、本当煽るの好きだな」
「スルースキル磨けていいだろ?」
「本当に、面白いのう、お前さんがたは」

 こんなに面白いやつらじゃったら、もっと早う声、かけたらよかったのう。
 仁王の苦笑に残りの二人が同意する。そうするうちに外周のロードワークが終わって、コートに戻ってくる。一年生のマネージャーがドリンクを用意してくれていたのでそれを飲んでいると、残りの一年生も追いついてきた。
 素振りをするのにも見本を見せろと言われて、千尋と千代が交代でラケットを振った。フォーム改善以外で、こんなにラケットを振るのは久しぶりだったが、苦痛はなく、寧ろ楽しさすら感じて初心に立ち返った気がする。
 勉強を頭ごなしに否定した数か月前、柳に問われたことを思い出す。
 基礎練習は無駄にならない。それを人に教えられるレベルまで昇華出来るのなら、自分の技術の向上につながる。だから。今の基礎の基礎を丸井たちと一緒にやり直すこの時間は決して無駄ではない。
 寧ろ、テニスを楽しむという一番大切な気持ちを思い出すことが出来てよかったと思うことにした。徳久のように天真爛漫にテニスを楽しんで、勝ち続けることが出来なくても。幸村のように自信たっぷりにテニスで圧倒することが出来なくても。真田のように相手に合わせたうえで叩きのめす剛直なテニスが出来なくても。柳のように計算づくで合理的なテニスが出来なくても。千尋には千尋の、千代には千代のテニスがある。
 だから。
 必ず彼らの待つ場所まで這い上がる。この決定は絶対に覆さない。
 その為に与えられた一年生コートでの基本練習と、公式戦のスコアラーという二つの役割を果たす。それが、千尋の今の挑戦だ。
 特待生待遇で溝を感じていたことも忘れるぐらい、同級生たちに馴染む未来へ向けて千尋の戦いはもう始まっている。