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17th. 異郷の縁

 立海大学付属中学テニス部の特待枠は毎年三つと決まっている。
 今は海外遠征にいっている三年生も三人。日本に残っている二年生も三人。そして一年生の常磐津千尋たちも三人。三人だったが、先日、徳久脩(とくさ・しゅう)がアメリカのクラブからスカウトを受けて転校していった。千尋と千代由紀人(せんだい・ゆきと)の二人が残されて、そのまま三人目の枠は空席になるのだと思っていたら、実力考査の順位が出る頃、監督は新しい「特待生」を連れてきた。彼の名前はジャッカル桑原。ブラジル人とのハーフで、目鼻立ちがはっきりしている所謂イケメン、それが第一印象だった。
 日本語を流暢に話す彼は今まで公立の中学にいたらしい。小学校も公立で、下に弟妹が何人かいるので自分の学費を浮かせることが出来るなら、という気持ちで特待生のスカウトを受けたのだと語った。
 二学期から転入、という形になるが問題ないのかと監督に尋ねられたときにはそれが一番自分たちの家族にとって負担が小さいから、と答えたらしい。監督はその自立心を高く評価して面談を終えて立海まで桑原を連れてきた。
 そこまでを特待寮の食堂で説明されて、多分、同室になるだろう千代の表情が曇る。まるで徳久の代わりなど幾らでもいると言わんばかりだ。千尋や千代の気持ちなどどうでもいいのか、そう思いそうになった頃、渦中の桑原が口を開く。

「あの、監督。俺は実家から通いたいんですが」
「実家から?」
「はい、下の弟たちの面倒を見なければならないので、寮には入れない、と思っています」
「寮費はこちらで持つから、君の分だけでもご両親の負担も減らせると思うが、それでも通いの方がいいのか」
「はい、出来ませんか?」

 桑原が恐る恐る監督に尋ねた。
 出来ないのなら特待生になるのを辞退しかねない雰囲気で、監督は溜息を吐く。千代はルールに合わせられないようなやつは必要ない、と憤っているのが空気で伝わった。監督もその雰囲気を察しているだろうに、敢えて千代に尋ねる。

「千代、お前はどう思う」
「俺がどうこう言う問題ではないと思います」
「お前はまだ徳久のことを引きずっているのか」
「そういうわけではないです」
「では何だ」

 監督の問いに千代は言葉を濁したが、言及は続く。
 千代は一つ溜息を吐いて、じゃあ言いますが、と始めた。

「勝てるやつが正しい。監督は俺たちにそう言いました。勝てるのなら、別に彼が実家から通っても問題ない、そうじゃないですか」
常磐津、お前も同じ意見か」
「いいんじゃないですか? よそに心残りがあるやつと寝泊まりしても落ち着かないだけです。立海のレベルに見合ってるなら、別にここで暮らさなきゃならない、なんてことないと思います。まぁ、俺たちは地元が遠いからここにいますけど」

 練習出来なくて、レベル足りないなら辞めるでしょ、と敢えて軽めに答えると、監督の溜息は一層重たくなった。聞き分けの悪い一年生を三人も相手にして、人生の心得をどこから説けばいいのか悩んでいる。そんな印象だった。
 それを見ても桑原は自分の主張を引っ込めるつもりがなさそうで、こいつのメンタルは中々だ、と千尋は思う。自分の人生の他に両親と弟妹の人生を背負ってそれでも臆することがない。こういう強かなやつが味方ならきっと心強いだろう。
 本当にそう思った。
 だから千尋は言う。

「監督。監督だってこいつが使えると思ったから連れてきたんですよね? だったら、別に住むとことかどうでもいい問題じゃないですか? 俺たちは勝つ為にここにいるんですよね? 一緒に暮らさないと勝てないって言うなら、幸村はどうなんです? あいつ、ここに住んでませんけど部内最強ですよ」

 捲し立てるように続けると監督は「だからお前たちに話すのは気が重かったんだ」と独り言を言う。溜息をもう一つ吐いて「河原、倉吉、佐用、お前たちも同じ意見か」と隠れて話を聞いていた二年生の特待生の名を呼んだ。三人の特待生はそれをきっかけに食堂へ姿を現す。そして、異口同音に桑原の主張を支持した。

「ほら、先輩方もこう言ってるんだし、取り敢えず二か月ぐらいお試しでいいじゃないですか」

 桑原、お前もそれでいいだろ。
 話題の当の本人に話を振る。桑原は、初対面の千尋が庇ってくれるとは思ってもみなかったらしく、一瞬だけ驚いた顔をしたが、言葉の中身を理解するとすぐに頷いた。
 桑原が特例の措置になることを拒むものがいない状況を確認して、監督は「取り敢えず今日の夕飯はここで食べてから帰れ。明日からは好きにしろ」と言い残して、退寮した。それを受けて、二年生の先輩たちとハイタッチで自分たちの意見が通ったことを祝福する。キワ、幸村を引き合いに出すの中々面白かった。先輩の一人にそう言われて、事実でしょ、と答えると食堂に笑い声が湧く。幸村に勝てないのは千尋一人ではない。部内では無敗。二年生の先輩たちも軒並み幸村に負けた。特待生としてのプライドはずたずただ。それでも、先輩たちはくさらなかった。自分より強いやつがいるならいつか超える。そう思える先輩たちだから、ここにいる。
 千尋はそういう割り切った先輩たちのことが決して嫌いではない。寧ろ尊敬すらしている。
 だから。
 
「桑原、ここの飯、結構美味いからたまには食べて帰れよ」

 特待生は衣食住を保証される。食べても食べなくても桑原の負担は同じだ。だから、外食気分で食べたらどうだと勧めると、彼は思ってもないことを言われた、という風にくっきりとした両目をさらに丸くした。

「お前、どうして俺の味方してくれたんだ」
「理由なんてねーよ。事情なんて人それぞれだろ。さっきも言ったけど、俺は家遠いからここにいるけど、お前、家近いんなら家の方が落ち着くんじゃね」
「いや、それはわかるんだが」
「他に何か必要だって言うなら、お前がブラジルだから、でいいじゃねーか」
「うん?」
「お前の前にいたやつ、日本で一番ブラジル人の多い街の出身だったんだよ。そいつの代わりにお前が来るなら、何か縁があっていいだろ。縁。難しいことは俺たちにはわかんねーんだ。取り敢えずムイト・オブリガード、言えりゃ俺たちはお前の味方する」

 それとも、初対面の俺たちにはオブリガード、言えないか。
 試すように問う。桑原は一瞬だけ言葉に詰まって、そして、ハーフらしい爽快な笑みで「Muito obrigado! どうも、ありがとう!」と言ったので千尋は彼を戦友として受け入れるという結論に達した。
 二年生の先輩たちと千尋の中ではその結論に達しているのに、千代はどうにも納得がいかない顔をしている。
 同室で暮らすことは免れたが、明日からは桑原と一緒に戦っていくことになる。徳久の代わりがいる、というのが千代には受け入れられないのだろう。
 千尋は小さな溜息を吐く。
 千代の気持ちはわかる。千尋だって徳久の代わりなんて要らない。でも、監督はもう大人の権限でそれを決めてしまったし、千尋たちの感傷で桑原の人生を狂わせる権利などある筈もない。桑原はもうここにいるのだ。千尋たちと同じ、勝利の為の駒として生きる為にここにいる。
 だから。

「ダイ、いいじゃねーか。こいつ、絶対いいやつだから」

 いいやつの定義が実力があるやつなのか、性格がいいやつなのか、それとも都合がいいやつなのかは千尋自身、定義していない。そんなものがわかるほど、千尋と桑原が接した時間は長くないからだ。
 それでも、千尋は「絶対」と言った。
 千代がぶすっとしたままの顔で反論する。

「会って十五分しか経ってないのに、なんでそんなの言い切れるんだよ、キワ
「言い切れるって」
「お前に根拠訊くの馬鹿らしいけど、一応。『理由は』?」

 尋ねられても尋ねられなくても、同じ答えを返そうと思っていた。難しいことは千尋にはわからない。考査の順位が半分より前になっても、千尋に理解出来る論理には限界がある。
 だから。

「さっきも桑原に言ったけどさ、こいつブラジル人。以上」
「はぁ? 何だよ、それ」
「ダイ、お前だってシュウの性格知ってるだろ。県民性でもいい」

 日本で一番ブラジル人が多く暮らす街。そこで徳久は十二年間を過ごした。県民性なのか、徳久だけが持っている人徳なのかは、その街を訪れたことのない千尋には判断出来ない。それでも、千尋は知っている。
 徳久と四か月過ごした。その間に、たった一度でも徳久が彼の故郷に住む異邦人たちのことを悪く言ったことはない。それは、徳久と異邦人たちが調和して過ごしていた、ということを意味してはいないか。ムイト・オブリガード。教えてくれた徳久の笑顔は本物だった。
 東海地方の県民性が特別お人好しなのかもしれない。
 それでも、徳久が親しんだ異郷の民と同じ血を引く桑原がここにいるのは何かの巡りあわせだ、と千尋は思った。

「新しい仲間が来て、今から頑張ろうってときにシュウが言うのかよ。『俺以外の仲間と親しくしないでほしい』って! 言うわけないだろ、あいつ、そういうやつじゃねーかよ」
「でも」
「使い捨て上等じゃねーか。最初から、そうだってわかってたじゃねーか」

 徳久なら言うだろう。新しい仲間と共に研鑽して、もっと強くなった千尋たちと戦いたい。そうじゃないのか、と言うと千代は俯いた。

キワのくせに、一人前に説教するなよ」

 弱弱しく、千代が最後の抵抗をする。お得意の煽りにもキレがない。
 そんな気の抜けた悪舌では千尋にダメージを与えることなんて出来る筈もない。
 多分、千代の中でも答えはもう出ているのだ。それを素直に受け入れることが出来なくて足掻いてる。相棒の婉曲な降参の表現に、千尋は軽い口調で選手交代を告げた。

「じゃあクラ先輩に譲る」

 二年の特待生の一人、倉吉に話を振ると彼は爽やかな笑顔で千尋の言葉を一刀両断する。

「オレは別に言うことないけど」
「先輩、そこは何か言うとこっす」
「だって、オレの言いたいことお前が殆ど言ったし、論破して滅多打ちにしたいとか思うほどえぐい趣味してないからさ」
「クラ先輩、それは遠回しに俺のこと責めてないっすか」
「お、キワのくせにそこに気付いたのか。進歩だねぇ」

 先ほどからキワのくせにを連発されて、千尋は自分が怒ってもいい場面なのではないかと思う。眉間に力を込めて、文句の一つでも言おうかと思って言葉を探す。千尋の中から言葉が出てくるより先に、小さく噴き出す音が聞こえた。

「いや、悪い。馬鹿にしてるんじゃないんだ。特待生ってもっと殺伐としてるもんだと思ってたから、意外とアットホームで拍子抜けした」

 ここ、いいところだな。
 感慨深げに桑原が呟くものだから、千尋たちは揃って目を瞬かせた。
 話題の大本で、なのに蚊帳の外に置かれていた桑原が何を言うのか。千尋を含めた五人は少し身構えて待った。

「桑原?」
キワ、ってのがお前の名前?」
「いや、それはあだ名で、本名は常磐津千尋
「じゃあ常磐津
「何だ」
「俺の前にいたやつ、いいやつだったんだな」
「うん、そりゃもう、相当」
「俺、多分そいつよりいいやつじゃないけど、ここに飯食いに来てもいいか?」

 前のやつの代わりじゃなくて、俺がそうしたいんだけど、問題があったら教えてくれ。本当にそっちのやつが俺のこと受け入れられないなら来ないしさ。
 期待と諦めを同じぐらいの比率で混ぜ合わせた桑原の言葉に千代が弾かれたように顔を上げる。
 違うんだ、唇が動いたが音にはならなかった。
 千代の感傷が桑原にとってどれだけの不安を煽っていたのか、気付いて千代は後悔している。

「先輩、俺ら別にいいっすよね」
「いいよー。いいともー」
「僕も賛成です」
「オレも異議なーし」
「ダイ、お前の返事待ちになってるけど、どうする」

 河原、佐用、倉吉と肯定の返事が来る。

キワ、馬鹿? この状況で返事なんて聞く意味あるわけ?」
「あるだろ。お前が作った雰囲気なんだから、お前が直せよ」

 それとも、トリ頭の俺でも出来る常識がお前にないわけ?
 煽りで返すと千代が長い長い溜息を吐き出す。
 そして。

「食べたいならいつでも好きに来たらいいだろ。お前も特待生なんだからその権利あるの、わかってるだろ『ルック』」

 それとも、そんなこともいちいち誰かに確かめないといけないぐらい不安なんだったら、いっそここに泊まれよ。
 昨今のメディアが作り出した「ツンデレ」の偶像を見事に踏襲しきった千代の返答に千尋と先輩たちは笑いをこらえきれない。噴き出して、腹筋と表情筋が痛くなるほど爆笑して「ネーミングセンスないよね、ダイ君」と佐用が息継ぎの合間に反応を示すと、千代の顔が朱に染まる。
 なのに、名前を付けられた本人は何のことかわからない様子で、「『ルック』?」と首を傾げている。
 ジャッカルくわはら。だから真ん中だけを抜いて「ルク」、言いにくいのと日本人の日常生活に慣れ親しんだ語感とで促音を挟んだ。それはわかる。わかるが、どうしてそこに行き着くのか、千尋たちは不思議でならなかった。

「よし桑原、お前今日から『ルック』な。俺のことはキワでいいし、こいつ――千代はダイでいい」
「いや、話が急で意味が分からないんだが」
「特待生の宿命だ。割り切れ。俺たちは適当にあだ名を付けられる運命なんだ」
「いや、でも」
「ルッ君、諦めなよ。君は違うのかもしれないけど、僕たちは揃いも揃って結構頭がよくない。こんな言葉遊びでもしていないと、その現実と向き合って絶望したくなる。先代の部長がね、そういうの分かってくれる人だった」

 だから、僕たちは君からしたらつまらない言葉遊びでも真剣に考えて、真剣に思いを載せてるんだ。心の中で馬鹿にするのは自由にしたらいい。そこまでは誰も強制出来ないしね。好きにしたらいいんだけど、ちょっとだけでいい。僕たちにも道幅を譲ってもらえないかな。
 二年の特待生の中では一等穏やかな佐用の言葉を正面から受け止めて、真摯な眼差しで桑原が聞いている。褐色に焼けた瞼が二度、三度瞬いて、そして彼の表情が不意に困惑に変わる。理解されないのだろうか。千尋たちのつまらない遊びになど付き合う義理はないと切り捨てられるだろうか。そんな不安が湧く。
 その、葛藤と困惑の末に、桑原は五人の杞憂を切って捨てる台詞を呟いた。

「取り敢えず、あだ名もいいんだけど、ちゃんと自己紹介させてくれよ。キワやダイのこともちゃんと知ってから、その名前で呼んだ方が断然いいだろ」

 そうじゃないと、上っ面だけの関係になってしまう。
 桑原の台詞が五人の中にすっと落ちてきて、誰からともなく破顔した。何回繰り返しても、何度経験しても一生慣れることのない初対面の挨拶を求められた。千尋と千代が四か月で積み上げたものを無視して、それと同じを桑原に求めようとしていたことを知る。今、一番不安なのは桑原だ。その現実を知って五人でハイタッチを交わす。
 そして。

「ルック! 俺、常磐津千尋。一年B組。プレイスタイルはカウンターパンチャーで、今はメンタルを鍛えてる。キワ、でいいぜ!」
「俺は千代由紀人。一年E組。サーブ&ボレーヤーで、キワとはダブルス組んでる。不本意だけど、ダイって呼ばれてるからルックもダイでいいから」

 一年生の千尋たちから自己紹介が始まる。二人に続いて二年生の三人も簡単に自己紹介して、桑原が一人ずつ名前を確かめるように視線を投げてきた。
 キワ、ダイ、クラ先輩、サヨ先輩、カラ先輩。順に呟いてもう一度確かめて、そして彼の瞼が上下する。

「じゃあ俺の自己紹介するな。ジャッカル桑原。プレイスタイルはカウンターパンチャーでスタミナにはちょっと自信あるんだ。多分、キワとは同じクラスだから色々世話になると思う。迷惑だと思うけど、よろしく頼むぜ!」
「えっ、ルックB組?」
「さっき、監督がそう言ってた」
「そっか。じゃあ三学期までよろしくな!」

 言って右手をさし出す。桑原の右手が小気味い音を立ててその手を掴む。同じ学年なのに千尋の手よりずっと大きくて安心感がある。同じタイプの選手で、同じクラス。多分これは何かの巡り合わせだ。そう直感する。千尋の直感は八割ぐらいは正鵠を射ているから、深く考えずにそれを受け入れた。
 桑原がシングルスの選手になるか、ダブルスの選手になるかはまだわからない。
 それでも、レギュラー争いをするカウンターパンチャーが一人増えたのだけは確かで、だからと言って負けるつもりもない。
 だから。

「ルック、続きは飯食いながらにしようぜ。取り敢えず、明日五時から自主トレするけどお前どうする?」
「自主トレって具体的には何やるんだ?」

 今まで座っていた食堂の一角から席を立ち、調理場へつながっているカウンターへと桑原を連れてきた。特待寮の食事は毎日三種類の献立から好きなものを選ぶことが出来る。そのシステムを説明して、六人がめいめい好きなものをオーダーした。後は席で待っていれば膳が運ばれてくる。二年生が着席する間に、千尋たちはドリンクサーバーから冷えたほうじ茶を六つのコップに注いで席まで運んだ。
 自主トレではロードワークと筋力トレーニングをする、と答えると桑原は細かいメニューを教えてほしいと言った。

「その時間だと俺は間に合わないから、弟たちの面倒見ながら筋トレするさ。ロードワークは家からここまで走ってきたらちょうどぐらいじゃないか?」
「えっ? お前、走ってここまで来んの?」
「ルック、スタミナに自信あるって言ってもそれはちょっとやりすぎじゃない?」
「自信があることを伸ばすのが自主トレだって監督が言ってただろ」
「いや、あの人そう言うけど」
「授業とかもちゃんと聞かなきゃいけないから、朝からオーバーワークはよくないと俺も思う」

 千代と二人異口同音に制止の言葉を告げると三人の先輩が「キワ、ダイ。ルックを見習え」と笑っていた。

キワ君。ダイ君。体力はあるに越したことはないよ。本人が大丈夫だと言っているなら試してみたらいいじゃないかな。『お試し期間』なんだろう?」
「いや、それはそうなんすけど」
「お前たち精々ルックに置いていかれないように頑張れよ」
「クラ先輩、誰に言ってんすか」

 俺たちはもう誰かに置いていかれるのなんてごめんだ。茶化すように言葉を挟んだ倉吉に千代が食って掛かる。その為に努力が必要なら惜しまないし、競い合うライバルが増えるのならいっそう研鑽を重ねる。
 だから。

「じゃあルック、朝練でまた会おうぜ」
「ルックさえよければ朝食もここで食べたらいい」

 朝食は六時半からだ、と告げると生姜焼きを食べていた桑原が箸を置いて「いいのか?」と驚いた顔をした。
 いいも悪いもない。衣食住の保証が特待生の権利だ。桑原が義務を全う出来るのなら、彼の権利はきちんと行使出来る。そう答えると、桑原は「じゃあ六時半な!」と言って生姜焼きの続きを味わう。
 いいやつだから、と言ったのは千尋自身だが、本当に嫌味のないいいやつだと実感しながら、千尋は鶏南蛮を頬張る。
 今日の夕食も栄養バランス、量、味とすべてに申し分がない。明日からもまだ続く、この充実した日々に期待と希望を込めて、千尋は白米を噛みしめた。