All in All

23rd. 道連れの法則

 真田弦一郎は軟弱なことが嫌いだ。
 お化け屋敷で驚いたりするのは勿論、驚かす役割を請け負ったならどんな相手でも驚かすのが筋で、そう出来ないのなら最初から引き受けたりするべきではない。心の底から本当にそう思っている。
 常磐津千尋は薄々、真田のそういった気質を知っていたつもりだったが海原祭の初日、剣道部主催のお化け屋敷で高校生だろうお化け役の剣道部員に説教を始めたときには呆れを通り越して笑ってしまいそうになった。それを必死にこらえていると、真田は千尋の無駄な努力を察したのか「千尋、お前もそこに座れ」と言って剣道部員の横で正座を強要され、十五分ほど真剣にダメ出しを受ける。
 そのときに千尋は思った。真田はいい意味でも悪い意味でもまっすぐなやつだ。真田の道を歪められるやつなんてこの世には誰もいないだろう。曲げられない道を歩いているなら、そのままでいいんじゃないだろうか。その道が真田をいつか苦しめるとしても、真田なら歩き続けることが出来る。千尋はそれを見届ける役目を引き受けよう。
 だから。

「弦一郎、そろそろ次行こうぜ」
千尋、お前は反省をしたのか。少しもその色が見えん」
「反省しなきゃなんねーことなんてねーんだから仕方ないだろ」
「何だと」
「だって、そうだろ。俺は祭を楽しみに来てんだよ、無粋なのはどっちだ。この先輩たちだって祭を楽しんでんだから、驚かし方がぬるいとか細けーことなんてどうでもいいだろ」

 それとも、お前、自分に気に入らねーことは全部否定しなきゃ死んじまうほど繊細なのかよ。
 軽い口調で核心に触れる。真田は反論するだろうか。お前の理屈など道理が通らないと否定されるだろうか。もしそうだとしても、千尋の思いを伝えずにわだかまりを隠して首肯するだけが友情ではないだろう。
 千尋は、そんな一方的な友情は要らない。
 お互いのことを尊重出来ないのなら、そこに信頼関係はない。千尋の意見が無条件で否定され続けるのなら、千尋は上の世界など見えなくてもいい。今の場所で輝ける方法を考える。その、創意工夫が人を育てるのだと平生から真田が考えていることは知っている。だから言った。敢えて軽い言葉で言った。
 真田が千尋の反論に言葉に詰まる。真っすぐな視線が千尋をとらえて、そしてゆっくりと瞼が伏せられる。
 そして。

「ふん。仕方のないやつだ」

 再び開いた真田の双眸には仲間しか見ることのない穏やかさが灯されていた。今の真田には人の意見を聞くだけの余裕がある。自らの言動を振り返って、千尋の主張を容れた。世間の評判ほどは頑固ではない真田を知っている千尋は驚きもしないが、説教を聞いていた高校生たちが落差に戸惑っているのを感じる。
 彼らは知らなくていいのだ。真田の持つ色々な顔を見る権利を千尋が持っているのは仲間だからで、剣道部の先輩たちとはただの行きずりの関係に過ぎない。
 優越感を覚えながら、頑なを装う真田に憎まれ口をきいた。

「仕方ねーのはどっちだよ」
千尋、言いたいことがあるのなら最後まで聞くが?」
「謹んでお断り申し上げる」

 顔色一つ変えずにその句を紡ぐと真田の両目が軽く見開かれる。多分、千尋の口からその言葉が聞ける日が来るとは思っていなかったのだろう。
 
「何だ、敬語の使い方をやっと覚えたのか」
「お前と蓮二が馬鹿みてーに教えたんじゃねーか」
「その進歩に免じて、今日は目をつぶろう」
「よし、じゃあ、次行くぞ次」

 先輩方、ご迷惑おかけしました。
 軽く会釈しながら言って先に歩き出した真田の背を追う。剣道部のお化け役の高校生たちは一様にぽかんとした顔で中学生の二人を見送って、それから崩れるように脱力したということを千尋たちが知ることはないが、知らなくても人生という時間が過ぎることだけは確かだ。
 人生に万有の正しさはない。それでも、そのありもしない幻想を追えるものだけが本当の答えに辿り着く。齢十三でその道を選んだ真田の心の内は真田にしかわからないが、千尋は真田の生き方を好ましいと思った。思うのは個人の自由なのだから、千尋の感覚を誰にも否定させはしない。
 ただ。

「弦一郎、お前、もう少し余裕持てよ」
「お前に説教をされるほど俺は落ちぶれておらん」
「いや、説教とかじゃなくてさ、アドバイスだろ。アドバイス」
「お前に忠告されるというのも中々情けないものだ」
「弦一郎、喧嘩売ってんなら言い値で買うけど?」
「お前の挑発に乗るほど俺が愚かに見えるのか」
「……お前、本っ当にブレねーな」
「呆れたか」
「いや、寧ろ感動したわ」

 自分という軸を知っていて、その範疇で常に戦い続ける。相手の言動で揺らいだりしない。だから真田はいつでも千尋の眼には輝いて映る。その感覚に正直でいれば、千尋もまた成長の代があるのだと、ぼんやり気付いたのはいつだろう。ときに世間は真田をあざ笑う。それでも、千尋は真田を肯定していたい。こいつの魅力がわからないのなら黙って道を譲ればいい。本当にそう思うから、千尋は雑音など気にしないが、世間はときに怜悧な刃を真田に向ける。庇われければ前に進めないほど真田は弱くない。それでも、千尋は思う。
 その切っ先をそらすのもまた朋輩である千尋に与えらえた権利の一つだ。
 だから、時々は千尋が真田に説教をすることがあってもいいだろう。
 そんな気持ちを込めながらやり取りをする。
 軽音楽部が主催する野外ライブの会場を通りかかったのはその言葉遊びの最中だった。耳をつんざくようなギター音。決して上手いとは言えないその演奏に張り合うかのような絶叫。歌唱と呼ぶには粗削りすぎて、とてもではないが聞けたものではない。それでも、千尋と真田の足は止まった。軽音楽とは一番遠いところにいるだろう相手が見えたからだ。

「ヤギ」
「おや、キワ君。真田君も一緒でしたか」

 振り返った柳生比呂士の視界に千尋と真田が映り、彼の意識がステージから離れる。伝統を重んじる柳生の好きな音楽は真田のものとそれほど変わらない、と認識していたのは間違いだったのか。軽い言葉でそれを問うと柳生は苦笑しながら「丸井君の小学校時代からのご友人が手伝ったステージだそうですよ」と答える。

「ルイの?」
「ええ、そうです」
「その本人はどこ行ったんだ」

 丸井ブン太の姿を探したが、近くにはいない。
 多くの聴衆でごった返すなかだ。千尋の探し方が足りないのか、と思い尋ねる。柳生は「いいところに気が付きましたね、キワ君」と言って微笑む。

「ステージ裏でしょう。音響の手伝い、というのがご友人の担当だそうです」

 ボーカルでもなく、奏者でもないがこのステージを成り立たせる為には必要な役割の一つが音響だ。音楽の世界に体格は関係がない。才能がありさえすれば、中学生だろうが高校生だろうが通用する。テニスに情熱を捧げた千尋には縁遠い世界だが、そういう年齢という概念を超越した世界があるということは理解していた。
 だから、千尋は相槌を打って柳生の答えを受け入れる。
 その答えに不満はないが、柳生は今、一人きりで彼の好みでもない音楽を黙って聞いている。他に行きたいところがあるのではないか。待っているだけの時間は苦痛ではないだろうか。そんな考えが千尋の中に湧いた。
 隣に立った真田も似たような結論に辿り着いたのだろう。
 複雑な思いを噛み潰した顔をしていた。

「で、お前は律儀にここでルイを待ってるってわけ?」
「待つ時間、というのも存外悪くないものですよ」
「いつ帰ってくるかもわかんねーのに?」
「心外ですね、キワ君。丸井君はワタシのことを放置して旧友と盛り上がっている、とでも?」
「かもしれねーだろ」
「大丈夫ですよ。丸井君はワタシのことを覚えていますし、今はキワ君たちもいます」

 言い切った柳生の顔は充足で彩られていて、彼が本心からそう言っているのだということがわかる。きっともうすぐ丸井が戻ってくる。信じているから、丸井の友人が演出の手伝いをする興味のないステージを眺めていることが出来る。
 人としての徳に満ちた柳生の答えに千尋は、自分の発言が軽率で上辺だけのものだったことを知った。柳生は今、彼の人生の中になかった乱暴な音楽を楽しんでいる。それもまた海原祭の楽しみ方の一つだ、と暗に告げられて先刻、真田に説教をしようとした千尋自身の青さを知った。
 価値観は人によって違う。
 何を重んじるかは個人の自由で、その中で結果を得れば評価を受け、何も生み出さなければ淘汰されていく。ただそれだけのことなのに、千尋は無意識的に自分の価値観を仲間たちに強要しようとしていたことを知って穴があったら入りたい、という言葉の意味を感情を伴って知った。
 恥じ入る気持ちを苦々しく思い、持て余しているとその声が聞える。

「柳生、待たせたなぃ」
「いいえ、少しの間ですが興味深いステージでした」

 旧友との交流を終えた丸井が戻ってきて柳生と言葉を交わす。二人の間にわだかまりがあるようには見えないから、先ほどの柳生の言葉は偽りではなかったのだろう。
 千尋の中にはない信頼の形を知って、それがなんだか妙に気持ちを高揚させる。
 柳生も丸井も自慢の仲間だ、ということを再認識したからかもしれないし、ただ、自分の世界が広がったという充足によるものなのかもしれない。
 そんな新しい発見に思いを馳せていると、丸井の視線が千尋を射る。

「そりゃよかった。っていうか、キワ、真田。珍しい組み合わせだなぃ」
「いいだろ、別に。利害関係一致したんだって」

 一緒に行動すると約束した相手がいなかった。
 ただ、昨日の前夜祭で一番近い場所にいた。
 からあげを一緒に食べた。
 そんな他愛もないきっかけが積み重なって、千尋は真田と同道することを決めた。
 それを一から十まで説明するのは野暮な気がして、端的な言葉で濁す。真田も首肯したから、多分千尋とは同意見なのだろう。
 気が合わなさそうに見えて、それでいて気の合う部分もある。
 ただ、そのことが表出した一端だったが丸井たちにとっては先ほどの千尋ではないが、新しい発見だったのだろう。
 好奇心で双眸を輝かせて丸井が言う。

「なぁ柳生、俺、思ったんだけどよぃ」
「奇遇ですね、丸井君。ワタシも今、同じことを思いました」
「何の話だ」
「このあと、俺たちと回んね? いいだろ、利害関係一致しないとか言うなよぃ」

 あらかじめ釘を刺されたが、千尋も真田も別段二人で行動することにこだわっていない。一人で回るよりは道連れがいた方が祭りの気分を味わえるだろう、と思った。ただそれだけのことだから、丸井たちとも利害関係は一致していると言える。

「弦一郎、どうする」
「俺は別段構わんが」
「ってことだから、お前らも道連れな」

 真田は本当に嫌なら嫌だと言う。千尋と真田との距離感で、無駄な気遣いや遠回しな否定を返されるとは思わない。だから、別段構わないと言うのなら本当にそうなのだろう。
 だから。
 千尋は柳生と丸井に対して合意を提示する。二人は顔を見合わせて悪戯げに笑った。

「お前らもう体育館行ったのかよぃ」
「いや、まだだけど」
「海原祭の名物、吹奏楽部の定期交流演奏会が間もなく行われます」

 中学、高校、大学の精鋭がセッションをするほか、コント仕立ての幕間も面白いと評判だ、と柳生が簡単に説明してくれる。一度ぐらいは見ておいて損はない。そこまで断言されて固辞するだけの理由はない。寧ろ興味が湧いた。
 だから。

「じゃあ行こうぜ、体育館ってどっちだ」
「こっちこっち」

 海原祭のど素人である千尋とは違い、丸井たちは立海大学の構内に詳しい。二週間前に、仁王が言った台詞が不意に蘇る。海原祭は神奈川県の秋の楽しみ。その通りだ。こんなにも楽しい学校行事は生まれて初めてで、誰もがいきいきとした顔を見せている。企画を催す方も、享受する方も全力で祭りの中にいる。だから、このイベントに関わる全員が輝いている。
 
「ルイ、待てよ! 俺、本当に場所わかんねーんだって」
「大丈夫だろぃ。体育館の存在感、絶対お前もわかるって」
「丸井、俺は思うのだが学部棟のその向こうの体育館は存在感以前に視認出来ないのではないか」
「お前たち面倒臭いこと言うなよ」
「そうですよ、真田君。人の流れに乗って歩けば体育館はすぐですから、幾らキワ君が初心者でも問題はないでしょう」
「だろぃ?」
「ルイ、ヤギ、お前ら二人で納得してねーで、ちゃんと案内してくれって」

 人の流れ、と柳生は言ったがそんなものはあってないに等しい。
 野外ステージから離れる人の波に乗ったが、そこから先が本当に体育館に通じているのかどうかも定かではないし、千尋には地理勘がない。
 そんなことを降参の意を含めて告げると丸井と柳生の二人が踵を返して千尋の両側に戻ってくる。
 そして。

「しょうがねぇなぃ。柳生、行くぜぃ」
「心得ていますよ、丸井君」

 二人は千尋の右手と左手をそれぞれ掴んで、目的地へ向けて小走りに進む。その勢いに少しのけぞって、結局は勢いに身を委ねることにする。
 後ろに残った真田が大きな溜息を吐き出して、そしてゆっくりと千尋たちの背中を追ってくる。
 果たして辿り着いた体育館では立ち見の席しか残っていなくて、なのにテニス部の主な友人たちが勢揃いしていて、考えることは皆一緒かと丸井が笑う。
 そんな未来まで残り十分の出来ごとだった。