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31st. 絶対のない世界

 この世界に絶対はない。
 絶対に叶わない夢がない代わりに絶対に叶う希望もない。
 現実は決して変えることが出来ないけれど、それも絶対ではない。
 本当に心の底から願い続けることが出来るのなら、その望みは叶うかもしれない。
 それもまた可能性の一つであり、「絶対」は約束されないが願う気持ちは誰にも否定出来ない。たとえ否定されたとしても、それを拒む権利が残る。
 その主張が青さだと言うのなら、それも否定しない。
 それでも、自分の信じるものを譲らないという矜持を常磐津千尋は持っている。
 幸村精市と対戦する選手のことごとくが視覚、または聴覚に異常をきたすようになった今もその主張を変えるつもりは毛頭なかった。千尋自身、視覚の異常は続いている。柳蓮二が収集、分析したデータによればイップスが発生するまでにかかる時間はレギュラー全体で平均5ゲーム。早ければ3ゲーム目で異常が現れるが、何とか試合終了まで持ちこたえることもある、というのが現在判明している現実だ。もっとも、勝敗が決まるまで持ちこたえた試合は幸村に惨敗している、というのも現実で平均5ゲームの内訳は決して明るい未来を伴っているわけではない。
 ただ、千尋はその状況に絶望しているか、と言われるとそれも一概には答えられない。
 幸村との試合で負けるのは悔しいが既定路線で、ゲーム内容に重きを置くのが習慣化していた。一番でなければ意味がない。どんな試合でも最終的な勝者は一人だ。一番強いやつが最後まで残る。その、最後の一人になりたくて千尋は神奈川までやってきた。
 今更、負けるのが怖いだなんて臆病風を吹かせているぐらいなら郷里に戻る。そういう選択肢もある、というのを痛切に感じたのは二学期が終わり、特待寮が年末年始の間、閉鎖されるというのを二年生の先輩たちが教えてくれた頃のことだ。

キワ、お前実家まで何時間だっけ」

 年内最終の部活が終わり、すっかり暗くなった中学のテニスコートを整備しているとそんな問いが飛んできた。
 ダブルスでは千尋の相棒というポジションが安定してきた千代由紀人(せんだい・ゆきと)の声に明日の朝までに帰省の準備をしなければならない、ということを思い出して溜息を吐く。千尋は血液型性格診断で言えば几帳面で理路整然としている筈のA型男子だが荷造りと荷解きは苦手中の苦手で、鞄の中身はいつでもぐちゃぐちゃだ。
 真田弦一郎の家に招かれるようになって、多少は外泊の準備にも慣れたかと思っていたが、一晩泊まるのと一週間実家に帰るのとでは勝手が違う。昨晩、同室の堺町秀人(さかいまち・ひでと)と荷造りの準備をしながら、帰省の段取りでイップスにならないか、というような悪辣な冗談を言い合って現実逃避をしていた。
 その、千尋の実家がある故郷へ至る経路を、最近ようやく覚えた日本地図の上に線で示しながら辿る。

「新幹線と特急乗り継いで6時間」

 乗り継ぎの待ち時間と最寄駅から実家までの移動時間は考慮していないから、実際はもう少しかかるが、それを詳細に提示する必要はないと判断した。
 これでも県庁所在地の出身でまだ便利な地区に住んでいる方だ。
 そう主張したかったのに、新幹線の停車駅が郷里にある千代は哀れみに満ちた顔で千尋を見る。この暗さで千代の表情の変化がわかるのは視覚による情報ではなく、習慣なのだと知って人には順応能力が備わっている、ということを何とはなしに実感した。

「よくその距離でこっちに来ようと思ったよな。本当、そういうとこだけは素直に尊敬する」
「ダーイーちゃーん、褒めるときぐらいストレートに来ようぜ」
「別に、俺、褒めてないし」

 はいはい、それは褒めていると言うんだと心の中で否定して、同じ問いを千代に返すべきか迷う。迷って、以前に彼が新幹線の停車駅が県内にあることを誇っていたのを思い出したから、千尋は問わずに素直な感情を露呈した。

「まぁ、何だかんだ言うけど新幹線停まるならそれに越したことはないんじゃね?」

 千代の出身地について詳細な会話をしたことはない。都会の出身ではない、という共通点で千尋と千代が意気投合したのは最初のうちだけで、今になれば出身は付加的な意味しか持っていない。そのぐらい、千尋と千代はお互いを一人の人間として認めている。
 だから、今更大仰に吠えたてることもないだろうと思い、帰省にかかる時間と疲労を考慮した発言をすると千代は声色だけでもはっきりとわかる難色を示した。

キワ、気持ち悪」
「はぁ?」
キワが俺の言うこと肯定するとか本当に気持ち悪いんだけど」
「いや、待てよ。なんかその言い方だと俺はお前のこと否定してばっかみたいじゃねーか」
「事実だろ」
「事実じゃねーよ! お前なぁ、俺を何だと思ってんだ」
キワキワだろ」
「いや、だから」

 それでは答えになっていない。反駁しようとしてその虚しさを考えて、これも千代の言葉遊びだと思い出す。千代が千尋を煽るとき、それは素直に感情を伝えられないときだ。わかっているじゃないか。わかっていたじゃないか。
 だったら、することは一つしかない。

「お前さぁ、もう少しわかりやすく来いよな」
キワが馬鹿なのを俺の所為にするのやめてくれない?」

 千代の悪辣な冗談を受け流して、少し大げさに溜息を零す。目に見える許容のポーズに千代の眦がすっと細められた。知っている。否定にしか聞こえないこの言葉の裏側で彼は千尋の許容を求めていたことも、その信頼に応えることで今日が円滑に終わることも。
 だから。

「で? 勝ち組新幹線のダイちゃんは帰省の準備、終わったのかよ」
「ルックが手伝ってくれるから、今から何とかする」
「ダーイーちゃーん、ルックはルックで家の手伝いあるのわかってるだろ! 荷造りぐらいは一人で何とかしろよ! 十三歳だろ!」
「俺、出来ないことはしない主義だから」

 その割り切った生き方は千尋には出来ない。自分のことを誰かの人生の上に丸投げしてしまうのは千尋にとってストレスにしかならないからだ。周りは騙せても、自分だけは騙せない。無自覚に誤認することはあるだろうが、意図して行ったことは意識の中に残る。だから、千尋には千代のような生き方は出来ない。ある意味では羨ましい。そう思って、多分、自分のことだからと自分の背中に色々なものを背負い込んでいる千尋の生き方も千代からすれば同じように映っているのかもしれないと気付いて、人それぞれという言葉の意味を体感したような気分になった。

「ルック、お前、嫌なら断っていいんだぜ?」

 手伝いの頭数に入れられたジャッカル桑原に話題を振ると、コートブラシを持った彼が足を止めて爽やかな声で言う。

「何だ? キワも手伝いが必要なら言ってくれれば手伝うぜ?」
「ルック、お前、心底いいやつだな」

 桑原以上のお人好しを探すのは困難だ。そんな感想を胸中で転がしていると反対の方から苦笑いが聞こえる。

「そこでそう言えるお前も心底いいやつだと俺は思うけど?」
「精市、お前が言うと嫌味にしか聞こえないのが本当に不思議なんだけど」
「嫌だな、千尋。嫌味を言っているのに褒めたように聞こえるなら、お前はただの馬鹿じゃないか」
「あ、うん。やっぱお前そう来るのな」

 少しでも幸村の言葉から誠意をくみ取ろうとした自分が馬鹿だったと言外に主張すると彼はいっそう愉快そうに笑った。

千尋、十三歳なんだろ? ちゃんと格好つけたらどうなんだい?」
「で? 何、お前が俺の荷造り手伝ってくれるって?」
「お前が本当に必要なら手伝うよ」

 実家に帰ってそのまま戻ってこない、なんて立海じゃ珍しくないらしいね、千尋
 付け足された言葉の方が本題だ、と千尋の第六感が告げる。帰省して地元のぬるま湯の優しさに絆されて立海で戦うつらさに負けるやつがいる、というのは確かに聞いたことがあった。6時間かけて郷里に帰って、地元のテニススクールで圧倒的な勝者として君臨して、そうして負けてばかりの立海に6時間かけて戻ってこいと言外に求められている。
 何があっても、どんなにつらい思いを味わうばかりだとわかっていても、千尋が戻ってくるのなら手を貸すことは決して不本意ではない。その言外の望みに込められた切実な要求の意味なら知っている。幸村は立海テニス部で不敗の存在だ。イップスの件でその孤独感はいっそう増しただろう。それでも、幸村は千尋や真田たちと戦うことを決してやめようとはしない。千尋たちがいつか並び立つと信じて戦い続けている。
 だから。

「寝言は寝て言え。特待寮が年中無休なら俺は実家に帰らなくても困らねーんだよ」

 強がりを言った。本音は違うかもしれない。ぬるま湯の優しさに絆されたいと思っているかもしれない。それでも、敢えて強がりを言った。幸村には虚勢だと見抜かれているだろう。馬鹿なことをしているという自覚もある。
 それでも。
 千尋は立海に来て負けばかりになってしまった人生から逃げ出したいとは思っていない。自分自身に誇れる自分でありたい。だから、千尋は幸村と戦い続けるし郷里で同級生たちと会ったとしても井の中の蛙に戻りたいとも思わないだろう。
 6時間の距離は遠い。
 だとしても、こういう未来が待っていることを少しも考えずに郷里を出たわけではない。
 自分で決めたことの責任を背負うのは自分だ。負けたまま逃げ帰って一生負け犬で終わりたくない。
 だから。
 千尋は正月が明けたら6時間の大移動をする。必ず立海に戻ってくる。その決意を双眸に灯して幸村を見る。暗がりの中、その変化は彼に届くとは思わない。それでも、千尋は感情を行動に載せた。
 視覚に頼らなくても、相手の持つ雰囲気の変化を感じ取れるのは千尋一人ではなかったらしい。幸村がふっと空気を緩めて柔らかく微笑む。
 その背中の向こうから、冗談めいた声が飛んできて千尋は緊張感と別離した。
 
「と言いながらお年玉を貰えないのは困る、とお前は思っているな」
「蓮二、そういうのはわかってるなら黙ってるのが花ってもんだろうが」
「否定は出来ないだろう」
「だーかーらー」
千尋、言い訳など見苦しい。男なら事実の指摘ぐらい黙って受け止めんか」

 コート整備を終えた仲間たちがばらばらと集まってくる。二手三手先を論理的に推測する柳の声が聞こえて、千尋は小さく溜息を吐く。否定は出来ない。否定は出来ないからこそ敢えて言わないという配慮を求めた。柳が細められた眦を緩やかな弧にしたような気がするのと同時に別の方向から張りのある声が聞こえる。
 真田だ。振り返らなくてもわかる。他人に厳しく、自分にはよりいっそう厳しい彼のその態度は思いやりから来ていると理解していた。千尋のことを千尋自身が思う以上に案じている。
 こんな不器用なやつは他に知らない。
 だから、正面切って否定するのではなく、彼の言葉を理解しているという含みを持たせた反駁が必要だ。でなければ、千尋は四月から何も進歩していないと証明してしまうような気がして、ほんの少し肩ひじを張る。

「弦一郎、正当性を主張するのは基本的人権の範囲で認められると思うんだけど?」

 日本国憲法によって国民は等しく基本的人権を与えられている。
 憲法上、千尋と真田は対等な存在で一方的な価値観の押し付けを否定する根拠になり得る。
 だから、不当な扱いを受けることに対して抗議をするのは正当な権利の行使だ。
 最近覚えたばかりの知識を使ってそう言えば、真田は千尋の背中を音だけは大きく鳴るように叩く。多分、及第点だったのだろう。真田の手のひらの感触は残ったが、決して痛くはなかった。
 それでも、何をするのだと一応は文句をつける。真田のさらに後ろから来た幸村が上から目線で千尋を評価するのが聞こえたとき、千尋は自分自身の小さな進歩を確信した。

千尋、随分社会科の知識が身に着いたね。そんな千尋に『公共の福祉』っていう概念をあげようか」
「お前さぁ、それ、期末試験で出た単語じゃねーか。俺、一応授業も聞いてるし試験も受けてるんだけど?」
「そう? じゃあ俺の言いたいこと、わかるだろ?」

 わかるわけがない。
 幸村精市の世界はとても十二歳だとは思えないぐらい深遠で多様性に満ちている。言葉遊びで幸村に勝ちたいと思った時期もあるが、その為に費やす時間と労力を考えるととても割に合うものではない。そのことに気付いた千尋は古来から伝承される「負けるが勝ち」の理論を導入することで、自分自身に折り合いをつけた。先に折れるという決断をするのにもまた利がある。
 なのに幸村は千尋の努力などまるでなかったかのような顔をして無理難題をふっかけてくるのだからたまったものではない。それでも、彼と交流を持つのをやめようと思わないぐらいには千尋自身も幸村のことを好ましく思っていた。
 届かない目標を提示されれば顎が出る。
 敵わないと思い知らされれば涙が出そうになる。
 それでも。
 千尋は幸村の仲間の一人でありたいから、挑まれれば応じる。
 正解がほしいのではない。正答を返すだけが友情ではない。
 幸村はそれを遠回しに教えてくれる。
 だから。

「『常磐津千尋はツッコミ担当だからもっとキレのいいツッコミをしろ』とか?」

 わかるわけのない問いにも自分なりの答えを返した。
 見当違いでもいい。正答からはかけ離れていてもいい。
 千尋が今、思考したという結果が出ればそれでよかった。
 その小さな努力が幸村のもとに届く。凛とした声音が千尋の奮闘を一言のもとに切り捨てて、そうして別の場所へと正答を求めた。

「違うよ。由紀人、お前ならわかるだろ?」
キワが輝ける煽りは俺の専売特許だから、キワは人を煽らなくてもいいんじゃない?」
「つまりは適材適所ということだな、キワ

 柳が千代の後ろから、今の会話を総括した。
 彼が口にした四字熟語なら知っている。適材適所――つまり、人にはそれぞれ向き不向きがあり、自分が輝ける場所で戦うのが最上の判断だ。それを広い視野で捉えれば、全体として最上の判断をすることになり、結果的には公共の福祉を体現することになる。
 その複雑な思考の最初と最後ぐらいしか千尋には理解出来なかったが、柳が総括したのも、幸村が提示したものも結局のところは同じなのだろう。全体として最上の判断――つまり、千尋が戦うべき土俵は郷里でない。立海で全国制覇に向かって戦うべきだ、と彼らは言外に告げている。
 多分、半分ぐらいは願望なのだろうその意見を聞いて千尋はそっと瞼を伏せた。
 薄暗闇が本物の暗闇になったとことで大した差などない。なのに再び瞼を開くとどうしてだか、視界がすっきりとしている。その理由が自分の中にある、と思うのが不思議な感じがしたが、それもまんざらでもない。
 千尋は万能ではない。勉強も身の回りのことも秀でていないどころか周囲より劣っている。テニスに懸ける思いだけは負けていないと思っているが、現実は残酷だ。簡単には最上の答えをくれない。幸村に負けて真田に負けて結局はまだ一番だと胸を張れていない。郷里に帰れば狭い井戸の中で一番になれるかもしれないが、そこから出てこいと望まれて拒むほどには愚かでもない。
 絶対なんてどこにもないのだ。かたちあるものはいつか滅びる。かたちないものはいずれ消える。
 絶対を持たない千尋たちに出来ることは失われるそのときに後悔をしない生き方を選ぶことだけだ。
 だから、今千尋がなすべきことを考える。
 立海から逃げ帰るならいつでも出来る。それでも、今はまだ戦い続けたいと思えるのだから、せめて自分自身の臆病さには負けたくない。薄暗闇の向こうを見渡す。ここには同じ方向に照準を合わせた仲間がこんなにもたくさんいる。そのことを正面から受け入れて、同時にこの中の誰にも負けたくない、という自分自身の気持ちを確かめて千尋は「精市」と幸村のことを呼んだ。

「何だい、千尋
「敵に塩送ってるようなお人好しに借り作んのどうかと思うけど、適材適所なんだろ?」

 俺の荷造り手伝ってくれよ。
 何のわだかまりもないように振舞ってそう言った。たったそれだけを言うのにどれだけの心の準備が必要だったか、なんて知らせるつもりもない。ただ、気持ちの上でぐらい対等でいたかったから言った。幸村が困ったように笑って「だから、最初からそう言ってるじゃないか」と言ったところで真田と柳の雰囲気が柔らかくなる。
 知っている。知っていた。
 絶対なんてどこにもない。勝てない相手がいるのならいつか勝てばいい。現時点でも、絶対に、たった1ポイントすら得られないわけではない。それはゼロと一の間の無限にある可能性を意味している。その無限を無にするか有にするかは千尋自身にかかっている。
 だから。
 幸村の隣を走る好敵手でいたいなら、前を向いていなければならない。
 諦めたらそこで終わる。終わるときぐらい自分で選びたいだなんて悲劇の主人公を気取りたいのなら、せめて自分に出来る最上を尽くさなければ格好が付かない。その努力すら惜しんでさっさと諦めるようなやつは仲間には要らない。
 その、あまりにも婉曲な肯定に千尋の中で今までとは違う闘志に火が付いた。
 
「ダイ、お前、四日には戻ってくるよな」
「まぁ、特に予定もないし、そうするつもりだけど?」
「精市、お前、四日暇だろ? 暇だな?」

 同じことを真田と柳にも尋ねると一同は千尋の言いたいことを察したらしい。
 特に予定がない旨の返答がばらばらにある。桑原が「キワ、お前、本当にブレないな」と苦笑していたがそれは称賛と受け取って胸を張った。
 その、千尋に幸村の冷静な声が響く。

千尋、一応言っておくけど、冬休みの課題は終わってるんだろうね?」
「任せろ、あと半分だ」
「今回は宿題合宿はないからね?」
「お前、往復十二時間舐めてんの? 俺の平衡感覚で電車酔いするはずねーだろ」
「お前の局所的な集中力で何とかするって?」
「お前らのおかげで人のいる場所で勉強するのには慣れたんだよ」

 だから、十二時間もあれば残り半分の課題は終わる。そう言えば幸村は今度こそ呆れた表情になって、そして慈しみを含んだ柔らかな声で言う。

千尋、四日だね? お前とテニス始め出来るの楽しみにしてるから、課題、絶対終わらせなよ?」
「任された!」
「じゃあ、後片付けももう終わるしお前たちの荷造り、手伝ってあげるよ」
「よし、じゃあ精市と弦一郎は俺の荷造りな。ダイ、ルックと蓮二がいればいいだろ?」
キワ、俺のこと何だと思ってるわけ? サダも借りないと朝までに終わるわけないだろ」
「ダーイーちゃーん!」
「仕方ないだろ。二人部屋を一人で使ったらろくでもないことにしかならないって見本になっただけありがたいと思ってほしいね」

 悪びれもなく開き直る相棒の姿に情けないやら、ここまで来ると清々しいやら、いっそ頼もしいやらで複雑な感情を抱きながら千尋は嘆息する。あっけらかんと弱みを見せてくれるのは千代が千尋たちを信頼しているからだ。
 目標は二時間後。それ以降、助っ人の四人は帰宅する。そんな約束を取り付けている千代に何か苦言を呈するべきか迷いながらもう一度嘆息した。

「お前さぁ」
「ほら、千尋。俺一人しかいないんだから早く行くよ」
「いやいやいや、お前らダイのこと甘やかしすぎだろうよ」
「そう? 俺たちはお前たちのこと、平等に甘やかしてると思ってるんだけど?」
「俺もかよ!」
「適材適所と言っただろう。俺たちは必要と思う手助けを必要と思うやつに行っているだけだ」
「なんだ? 助けられている自覚がなかったのか、千尋

 意外そうな声音が二つ聞こえて、千尋は別の意味でさらにもう一度嘆息した。
 わかっている。三強に助けてもらわなければ、千尋も千代もスタートラインにすら立てない。それでも、そこに至るまでに自分自身が努力したのもまた事実で、いつか借りを返せるような人間になりたい。その思いを込めて最後の溜息を零した。
 そして。

「じゃあ今年最後の助けられにお世話になりまーす!」

 開き直って勢いよく吐き出す。四人分の微苦笑を受け止めながら、千尋もまたコートの外へと向かって歩き出した。
 この世界に絶対はない。
 それでも、絶対に彼らに並び立つ未来を手に入れると決意して千尋の中学一年目の年末が終わろうとしていた。