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All in All

36th. Never End

 人生が終わるのは人が死ぬときだけだ。
 終わった、と思う瞬間は幾百も幾千もあるかもしれない。これ以上ないほど叩きのめされて絶望の淵に立たされることもあるだろう。それとは逆にこれ以上ないほどの幸福感を得て舞い上がることもあるだろう。それでも、人生はそこで終わらない。
 人生が終わるのは人が死ぬときだけだ。
 そんな当たり前のことを常磐津千尋に突きつけたのは例によって例のごとく幸村精市だった。
 大阪・四天宝寺中学との合同合宿初日、第一試合で千尋は相手選手だった忍足謙也を散々に負かした。そこまでは問題ない。いや、厳密に言うとレギュラー対非レギュラーの試合だったのだから、多少の問題はあるけれど、千尋が直面した問題よりは小さいから無視してもいいだろう。
 忍足と千尋との実力差を見せつける為だけにした試合の所為で、合同合宿、という趣が消えて四天宝寺が打倒立海で凝り固まってしまった。顧問が指示すればペアは組む。それでも、一緒に練習をしようという気がないらしく、ボレーボレーですら挑発を含んだ打球が返ってくる。王者立海と名乗る以上どの部員にも、外圧があっても耐えろと言わんばかりの強打だ。敵愾心をむき出しにされて黙って泣き寝入りをするような部員は立海にはおらず、結局、練習というよりはお互いの潰し合いのような状態が半日続いた。

「精市、俺、なんかやべーことした?」

 レギュラーはレギュラーと組むように再度指示が出たから、千尋は今、四天宝寺の二年生と組んでいる。千尋と組んだ二年生は話が分かる相手らしく「ちょっと血の気の多いやつなんや。すまんけど許したって」と和解の態度を示した。だから、千尋も彼のことを敵対者だと認識せず、お互いによりよい練習をする為のパートナーとして振舞っている。
 ボレーボレーもサーブレシーブも上質な練習が出来た。
 三強たちにはないタイプの選手で、彼は自分をオールラウンダーだと言ったけれど千尋の目にはアグレッシブベースライナーに見える。部員の数は同じでも、立海とはプレイスタイルの分布が違うのだろう。彼がアグレッシブベースライナーとして戦うだけの余裕がない。だから、即戦力としてオールラウンダー起用されている。そんな印象を与えた。
 その、四天宝寺の二年生が小休止を申し入れてきたから千尋はコートを離れる。コート外で関わることまで根本的に拒否されていたから、立海のベンチと四天宝寺のベンチは明確に分けられていた。そこまで毛嫌いをするほどのことか、と千尋は思ったけれど敵意を向けられている相手に好意を向けられるほど博愛精神に満ち溢れている筈もなく、結局は無関心を選んだ。
 選んだ筈だったのに、あまりにも露骨な態度を取られるとどうしても不快感と不安感を煽られる。先に相手を煽ったのは千尋だ。千代由紀人(せんだい・ゆきと)の真似をして不器用ながら全力で煽った。そのことを客観的に振り返りたい、と思うぐらいにはテニスコートの空気は最悪だ。後で悔いると書いて後悔だ。人は後でしか悔いる権利がない。
 先にベンチにいた幸村に模範的回答を求めると、彼はけろりとした顔で「最高の試合だったよ」と答える。

「いや、お前、そこは客観的に来いよ」

 褒められて伸びるタイプだ。といつからか自己紹介をするようになった。
 最高の試合、だなんていう表現が幸村の口から聞けたことを素直に嬉しいと思う反面、その言葉は今ではないときに聞きたかった、と思う。褒められているのに無条件で胸を張れない、という世にも不思議な体験をして、千尋の人生にはまた一つ色が増えた。

「そう? 俺は最高に客観的だよ。試合をしたのは俺じゃないし、喧嘩を売られたのも俺じゃない。俺のパートナーも俺のことを嫌ってないし、別に俺は何も困ってないけど?」

 寧ろ、誰か困っているやつでもいるのか。そんな風情さえ湛えて幸村の心からの笑みが千尋に向けられる。一年間、幸村と過ごして彼の本気と冗談の境目は少しずつわかるようになった。今のは冗談の体をした挑戦だ。煽りと言ってもいい。この冗談を冗談で受け流すべきなのか、間違えたとしても実際、千尋に致命的なダメージはないだろう。
 それでも。

「いや、お前が困らねーのはいいんだって。寧ろお前だけ困ってる方が俺的には最高に嬉しいけど、そういう問題じゃねーだろ」

 せっかく形を成してきた言葉遊びという高尚な戦いを不戦敗で終わらせたくなかったから、千尋は幸村の煽りに煽りを返した。

千尋、お前は一体、いつの間に由紀人になったんだい?」
「なってねーよ。俺がダイになるなら、あいつには俺になってもらわねーと話になんねーじゃねーか。無理だろ、それ」
「ほら、また。一年も一緒にいると仲間の癖、移るよね」
「まぁ、一応、特待生でレギュラーなわけだし。武器は多い方がいいだろ」
「風呂敷を広げすぎて畳めなくなる前に絞る努力をするなら、その意見も認めてあげてもいいよ」
「お前、本当いい性格してるよ」

 上から目線で施していくスタイルが幸村の鉄板だ。その裏では何十通りもの思考を巡らせているけれど、その苦労は微塵も見せない。見せないだけで、幸村の言葉を丁寧に受け取るとどこかにヒントが隠れている。それを探せないようなやつとは上っ面の会話だけで十分だ。そう思っているのを知っていると知っていて煽ってくる。
 だから、千尋は彼の性格とその強かさには舌を巻かずにはいられない。
 信頼されている、というのはこの悪口を殆ど日常茶飯事的に聞けるようになった頃に察した。千尋が察したことを察した幸村が更に悪辣な冗談を口にする。
 悪循環ではないか、と一時期悩んだこともある。千尋が馬鹿みたいに幸村を許容しているから妥協点を見失っているのではないか、と思ったこともある。
 それでも、千尋は幸村の煽りを容れた。千代の煽りを容れたときと似たような感情が生まれたけれど、少し違っていた、と思う。その違いを精査するには千尋の知性では不足があるし、言葉という形で表現するには語彙力が足りない。
 ただ。

「で? 俺の所為でルイたちがとばっちり受けてんだけど?」

 話をもとの場所まで戻す。千尋が自分自身の誇りの為に取った行動が仲間たちまで飛び火しているのを心苦しく思っている。そのことを包み隠さず白状すると幸村は何でもないことのようにあっさりと笑った。

「いいんじゃない? っていうかお前の所為っていうのが既に自惚れかな」
「自惚れかよ」
「だってそうだろ? 丸井たちは散々四天宝寺に馬鹿にされて怒ってたじゃないか。そこにお前の試合があっただけで、戦ってもない相手のことを勝手に馬鹿にしたり、負けたことに妬んだり恨んだりするようなやつに丸井たちが負けるとでも思ってるのかい」
「まぁ、思わねーけど」
「強くなるときって躓いて立ち上がるときだろ。四天宝寺の一年生に勝てないようなやつは一生立海レギュラーになれないんだから、お前はもっとどっしりと構えてなよ」
「お前、本当に容赦ねーのな」
「あんなに完璧に忍足を煽ったお前に言われると複雑な気持ちになれるね」

 立海の誇りを明示して、四天宝寺の闘争心を奮起した。完璧な煽りだったと褒められて、満更でもない気持ちがするのは、幸村が千尋の意図したことを汲んでくれたからだ。向上心がなければ人はそこで立ち止まって終わりだ。立海レギュラーとしての立場を守り、見せつけ、そして相手を圧倒する。千尋はその試金石としての役割を果たしたのだからもっと誇ればいい、と幸村は言う。いとも容易く彼は言うけれど、その言葉が持つ重みを知らないで口にしている筈がない。
 まだ幸村には敵わない。そんな感想を抱いたけれどそれもまた満更でもない。
 だから。

「精市、お前の相手もオールラウンダーだろ」
「お前の相手もそうだね」
「でも二人とも元々は別の仕事してたっぽいじゃねーか」

 千尋の相手はアグレッシブベースライナー。幸村の相手はサーブ&ボレーヤー。そう見えていたのは千尋一人ではなかったらしい。シングルスの選手としてはオールラウンダー以上の個性を持っている二人なのに二人ともが自らをオールラウンダーと言う。
 その、矛盾を突き付けたらどうなるか。
 試してみたい。そんな気持ちが千尋の中にある。
 それを言葉の端に載せると幸村が会話の終着点を察して微笑む。

「何だい? お得意のダブルス組もう、かい?」
「俺とお前だとカウンターパンチャー同士になるけど、あの二人相手なら、それこそ俺もお前もオールラウンダーって名乗れるレベルだろ」
「お前って本当にテニスだけは突出してるよね」

 いいよ。蓮二が休憩に来たらデータ取ってくれるように頼もう。
 テニスだけは突出している。その称賛の言葉が今度は何のひっかりもなくすっと千尋の中に降りてくる。正面から褒められた。限定的な響きを伴っているにしろ、正面から評価された。このことに手ごたえを感じないのなら、千尋は今後、立海において無感動な日々を過ごすことになるだろう。
 そのことを言った幸村も聞いた千尋も理解している。
 何という不器用なコミュニケーションだろう。千代が聞いていたら「何、立海ってコミュ障の集まりなわけ?」と煽ってくるのは間違いがない。
 それでも。

キワ、精市。二人とももう十分休んだだろう。そろそろ次の楽しみを体験してみないか」

 柳蓮二が交代でコートの外に来る。彼の提案が暗に千尋たちのコミュニケーションをまた聞きしていたことを伝えて二人で顔を見合わせて笑った。知っている。千尋にとっては追いついて追い越さなければならない三つの背中だけれど、三強はいつでも千尋の成長を応援してくれる。
 そんな仲間のことを一瞬でも疑った千尋自身を恥じながら、千尋は知った。
 今、テニスコートには最悪の雰囲気が流れている。潰すか潰されるかのせめぎ合い。そんな表現が一番しっくりくる。
 それでも。この程度のことで折れるようなやつは去年の春に部を去った。三年生と夏を戦い、乗り越えて秋も勝った。次の夏も深紅の旗を手に入れる。その覚悟のないやつは今の立海にはいない。自分だけなら弱くてもいいだろう。ここまで頑張ったのだから諦めてもいいだろう。そんな甘えを持たないぐらいには立海と言う荒波の中を戦ってきた仲間たちだ。
 信じていい。信じられる。
 丸井ブン太たちは今はきついと思っているだろう。テニスに触れる時間が丸井たちより長い四天宝寺の一年生、というのは必ずいる。四天宝寺だって伊達に全国大会常連校ではない。今の全力を尽くしてもまだ勝てない一年生と当たる苦しさを味わうやつがいないとは思っていない。
 それでも。
 丸井たちには丸井たちの戦いがある。
 千尋たちの場所まで追いついたら、と丸井は言った。それは彼にそれだけの闘争心と向上心がある、ということだ。上を目指して走っている仲間の目の前で白旗を勝手に挙げるのは最上級の侮蔑だろう。
 だから。

「蓮二。俺と精市、オールラウンダーで勝ってくるから」
「ほう、それは新しいデータがより期待出来るな」

 試合もしないで宣言する。自分のプレイスタイルに固執しているうちは伸び代が小さい。立海の自主練習では特技を伸ばして短所を潰すのに重点を置いてきた。三強と特待生の合計六人。この六人の中で明確に見える弱点はそれほど多くない。
 オールラウンダーとしてプレイする、ということは二人とも自分の世界から出る、ということだ。相手のミスを誘う駆け引きはやめない。それでも、相手を積極的に潰す努力に重きを置く。
 慣れない戦いになるだろう。
 その、戦いの中から次の弱点を見つけてくれ、と言外に求めると柳の眦が細められたまま微笑みを形どる。

「何かアドバイスか課題、あるなら今のうちに聞くよ」
「ならば――」

 こういう点に注意して、とか、どういった攻め方をして、だとかいう指示が三つ四つずつ二人に出された。それを真剣に受け取って、それぞれが自分の戦い方を組み立てる。立海レギュラーの一年生でオールラウンダーは真田弦一郎一人だ。彼の試合を思い出しつつ、それとは違う千尋たちなりのオールラウンダーを思い描いた。
 そして。

「そこのお二人! 俺たちとダブルスでやりませんか」
「お互い、損はないと思いますよ」

 勝利の形が重なっているかどうかの確認すらしないで千尋と幸村はラケットを握った。
 言葉で確かめなければ信じられないほど、千尋たちの距離感は遠くない。描いた理想が違っていたのなら、それは試合中にすり合わせればいい。
 そんな外野から見れば不思議なコミュニケーションを相手にも味わってほしい。
 願望なのか挑発なのか、挑戦なのか協調なのか、線引きに困る試合を提案すると四天宝寺の二年生は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた後「エエで」とコートに入ってくる。今度はサービスを譲るとは言わない。本気で戦う。その意思を見せると相手の気持ちがすっと引き締まるのを感じた。
 そうして始まった千尋・幸村組のダブルスはいつの間にか残り七面のコートの興味を奪っている。それぞれのコートから出てくることこそしないけれど、試合の展開に気を配っているのを感じた。 
 それを感じる余裕がある分、立海ペアの方が有利だ。
 オールラウンダーとして戦う、と言った通り二人ともが前衛・後衛の区別なくポジションを臨機応変に担った。千尋がネット際に出たとき、後ろで幸村がどうしているのか。その返球を終えて後ろに戻ったとき、幸村はどのコースを潰してほしいのか。最低限の目配せだけで意思疎通を行う。
 一年に少し足りないだけの時間、千尋は幸村と一緒に自主練習を続けてきた。
 千尋の思い描くオールラウンダー像と幸村が思うそれとの違いも何となくわかる。柳の思うデータと千尋たちの実際のプレイも違っているだろう。それが新しい分析を生み出す。
 いつもとは違う戦い方、というのを続けるとテニスにはまだまだ千尋の知らない側面があるのだとわかる。慣れ親しんだ勝ちパターンだけがテニスではない。前衛としてネットプレーに出る。今もまだ弱点の一つであるスマッシュを打った後の隙は幸村がカバーしてくれるから躊躇いなく打てる。千尋一人だとか、千代と二人だとか、そういう「いつも通り」にないゲーム展開は確かに千尋を高揚させた。
 それでも。

「精市、俺、思うんだけど」
「多分、同じこと俺も思ってるよ、千尋
「じゃあ敢えて言わねーけど、むこう、わかってんのかな」
「もう少しじゃない? わかってたらもっと上手く連携出来る筈だよ」

 千尋も幸村も100%の試合をしていない。それはどうしたってカウンターパンチャーとして戦うときの出力だ。慣れないプレイスタイルでも100%を出せるのなら、千尋は今頃真田にだって快勝出来るだろう。
 それは相手にとっても同じだ。
 自分はオールラウンダーだと思っている。何でもそこそここなせるからオールラウンダーだ。それでも、彼らは知るべきだろう。少しずつ自分の「個性」を取り戻しつつあることも、その方が彼らにとってより魅力的なプレイが出来ることも。
 だから、千尋たちは敢えて100%の試合をしない。
 そのことにも彼らは自分で気づくべきだ。
 傲慢と言われてもいい。不遜だと罵られてもいい。
 テニスを100%楽しむ、という観点から言えば勝敗はただのエッセンスだ。それでも、千尋たち立海は楽しみよりも勝利を選んだ。選んだことに後悔はない。
 ただ。
 目の前に転がっている可能性の原石を見つけて、放ったまま自分の世界で完結してしまわないぐらいにはテニスのことを心の底から愛している。
 テニスは一人で戦うスポーツだ。ダブルスなら二人だけれど、それでも自分たちだけが圧倒的に強くても試合にはならない。心を熱くする試合を望むのなら対戦相手の力量が必要になる。
 だから、テニスは二人、もしくは四人でするスポーツだ。
 最上の高みにいてなお、こうして人を救い上げるような真似をするのは結局のところ自分がテニスをもっと楽しみたいと思っているからに他ならない。
 その点において、千尋と幸村の見解は一致している。
 もっと強いやつと戦いたい。その為の手段は厭わない。
 それがときに自分の不利になろうとも、評価を落とそうとも、そんなことは些事だ。落ちた評価はまた取り戻せる。不利に二の足を踏むようでは勝利は遠い。
 だから。

「で? まだオールラウンダー引っ張るんすか」
「君ら、ほんまに容赦ないなぁ。謙也の試合のときから思とったけど、常磐津君、ほんまえぐいで」
「そりゃどうも」
「それで? オールラウンダー、まだ続けるんですか?」
「幸村君、君、全然本気やないやろ。ウチらの情報やと君、カウンターパンチャーやないん? 格の違い見せつけられたわ」

 プレイスタイルを変えても余裕を残して戦える。本当の強者というのはそういうものか。そんな言葉が吐露されたけれど、千尋も幸村も心には響いてこない。当たり前だ。その程度のことも出来ないで王者立海のレギュラーなどと名乗るわけがない。
 だから、幸村は四天宝寺の二年生の嘆息を一刀両断で切り捨てた。

「そんなことはどうでもいいじゃないですか」
「ほんま、敵わんわぁ」
「ギブアップするんすか」
「思てもないこと聞きなや。常磐津君、君ら、『ここから』が見たかったんやろ」

 コートの向こうで二人が目配せをして、爽やかに笑った。
 多分、千尋も幸村もこの瞬間を待っていた。選手として一歩、前の景色が見える。自分の得手と不得手を知って、どうすればもっと上手く戦えるのかを必死に試行錯誤する。その結果を示してみたい。その自己顕示を待っていた。
 千尋の中の高揚が興奮に代わる。
 ここから。その通りだ。ここまではただの下ごしらえで、今から二人が進化する。その瞬間に立ち会えることを最上の喜びと感じて、そして千尋も腹を括る。

「じゃあ、俺たちも七割ぐらいでいくんで」
「まだ『七割』なん? ほんま君らえぐいわぁ」

 言いながらも四天宝寺の二年生の表情は明るい。
 そのことが周囲のコートにざわめきを呼んだ。負けているのに、手加減をされているのにテニスを本気で楽しんでいる自分たちの仲間の姿に戸惑っている。立海勢は既に見慣れた光景だからか安堵と期待が五分五分ぐらいの顔をしていた。

「ほな、俺らの本領発揮、見ててもらおか!」
「期待してますよ、『先輩』」
「抜かせ!」

 四天宝寺の二人が本来の自分のプレイスタイルで連携を始める。彼らの組み合わせはダブルスの中では悪くないだろう。少なくとも、千尋とジャッカル桑原のように完全に同じタイプのカウンターパンチャー同士が組むよりは攻撃のバリエーションも増やせるし、臨機応変な対応が出来る。前衛、後衛の役割がはっきりしているサーブ&ボレーヤーとカウンターパンチャーの組み合わせが一番わかりやすいが、それ以外は全部不向きだというわけでもない。
 そのことはネットの向こうの二人が体現してくれるから千尋が言葉多くに語る必要はない。四天宝寺の選手の中に動揺が走っている。こんな試合をする二人を見るのは初めてだ。そんな雰囲気を感じ取って、拙い連携を見守って、千尋と幸村はほくそ笑んだ。
 対戦相手は必ず潰す。勝利だけが全てだ。草試合でも練習試合でも負けは許されない。
 だから千尋たちは勝つのだけれど、面白い試合が出来るに越したことはない。それもまた事実だから必死になって否定することはしない。
 レギュラーに割り当てられた二面のコート。その中で少しずつ空気が変わっていくのを千尋たちは感じていた。打倒立海。その気持ちは変わらないだろうし、変わってほしくない。出来れば残りの六面のコートにも同じ変化があればいいけれど、それはまだ残りの日数でどうにかするしかない。今は、四天宝寺のレギュラーたちに千尋の願いが届いたということを喜ぶべきだ。
 だから。
 強さには色々な形があるということを示して、それが受け入れられる場所があることの重さも時々でいいから思い出してほしい。両校に向けてそのメッセージを送る二人に称賛の拍手が送られるのはもう少し先の話だけれど、今はこのいっときの試合を楽しんでいたい。
 何度目かの入れ替わりのあとに今は前衛を務めている幸村の背中が雄弁に語る。
 どう? まだ人生終わったって思うのかい、千尋
 こんなところで終わっていないだろう、という反語が更に響く。響いて、千尋もまた幸村に道を示されていたのだと知る。
 人生が終わるのは人が死ぬときだけだ。
 だから。
 千尋の人生はまだ終わらないし、終わりそうなのならば這いつくばってでも前へ進む。
 まずはこの二人との戦いを楽しんで、それからあとのことを考えよう。そう決めて千尋はボールを中空高くトスする。
 後で悔いるのはいつでも出来る。下を見るのもいつでも出来る。
 だかから今は前を見て、一度しかない人生を必死に生きている。その道程で出会った奇跡を一つずつ噛みしめながら、試合はもう少し続く。