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70th.教授とカメラ

 常磐津千尋が渡英して、最初のひと月は本当に苦労をした。
 まず景色がわからない。「百錬自得」の聴力もまるで常識の違う土地ではそれほど役に立たないというのを嫌というほど思い知った。街中の喧騒も言葉が違うだけでこんなにも頼りなくなるだなんて思いもしなかったから、渡英という選択をしたのは時期尚早だった、だなんて泣きそうにもなった。
 それでも。
 千尋はもう国を飛び出してしまった。大倉初瀬(おおくら・はせ)の人生さえ捻じ曲げた千尋が今更怖じたところで何も始まらない。わかっていたから、異国のラジオの世界にあり続けた。音だけが聞こえる。その全てを聞き分けることすら出来ない焦りからだろう。千尋の双眸はとうとうテニスをしているときですら実像を結ばなくなった。
 あのときは、もう人生なんて終わりだと思った。
 千尋の治療に当たる大倉も、ケンブリッジ大学のアーマッド教授ですら何が起きているのか理解出来ていない。前代未聞だ、という言葉を何度聞いただろうか。それでも、大倉は決して諦めるな、と千尋に言い続けてくれた。病状に変化があるのなら、それが悪化か快癒の兆しなのかは五分五分だと言って未来を手放しそうになっている千尋のことを叱咤してくれた。
 アーマッド教授がテニス以外で千尋が楽しめることはないのか、と尋ねてくれたのは渡英してふた月めのことだ。テニスをしたい。テニスが出来ればいい。そうは言っても別の興味だってあるだろう。焦らずに、今出来ることを探していこう。だから、思い出してほしい、と教授は千尋に言う。
 テニス馬鹿の千尋にテニス以外の思い出なんてない――と言いそうになってそして不意に思い出した。
 中学一年目の海原祭。広報を務めて必死に写真を撮ってまわった。年が明けて大阪・四天宝寺中学との合同合宿でも写真を撮り続けた。千尋のファインダーの向こうの世界が輝いていることを教えてくれたのは、仁王雅治だ。忍足謙也や本当に多くのテニス仲間たちが千尋の写真の可能性を教えてくれた。千尋の見ている輝きを映し出せるのは千尋だけだと何度も違う言葉で同じ称賛をもらった。
 だから。
 千尋はアーマッド教授にそのことを伝えた。
 テニスが一番好きだけど、写真も好きだ、と。
 その次の日の朝には千尋の病室に本格的なカメラが届いた。コンデジではない。本物のデジタル一眼レフカメラだ。その精密機器の重さに千尋は狼狽する。目の見えない千尋が誤って落としでもしたら、この機械は一瞬で壊れてしまうだろう。広角のレンズや望遠のレンズといったパーツも揃えた、と教授は何でもないことのように言ったが、それがどれだけの出費なのか、何もわからないほど千尋も幼くはない。

「教授、これ、返します」

 回診でやってきたアーマッド教授を捕まえて千尋はカメラを返そうとした。
 まだ彼の顔を見たこともなかったけれど、易々と受け取っていいような品物でないのは確かだ。先に大倉にも相談しようと思ったのに、こんなときに限って大倉は別件で立て込んでいる、と看護師たちから聞いた。
 だから。
 千尋が自分でアーマッド教授にカメラを返さなくてはならない。そのことだけが自明で、千尋はとても落ち着かない気分だった。
 サイドテーブルに置かれた千尋の世界では考えようもないほどの値段の付いた機械のことを想うと居ても立っても居られない。だから、千尋は渾身の勇気を振り絞って教授に返還の意を伝えたのに、アーマッドはとても不思議そうな反応を返すだけだった。

「どうしてだい、千尋? キミの治療のために役立つかもしれないじゃないか」
「でも、俺が使っていいような機材じゃない」
「私は思うのだけど、千尋。キミは少し自分のことを見くびっているね」
「どういう――?」
「私は無駄なことはしない主義なんだ。絶対に可能性のない、ってわかっていることを試すのは時間の無駄だ。でも、可能性があるなら、どんなことだってするよ」

 カメラ一つで人の一生を救えるのなら、それはきっととても価値のあることだと私は信じている。
 それはアーマッド教授が心の底から千尋の応援をしてくれている、ということをもう一度千尋に伝えた。

千尋。人の心はいつも不安定だ。その心を少しでも理解してキミやキミじゃない他の誰かを救うことになるのならこれはきっと意味のあることじゃないかな」
「でも――」
千尋。キミはキミが思うよりずっと大切な存在だ」
「それは――研究の対象として?」
「そうだ。でも、それだけじゃないよ」

 千尋、キミがその苦しみを乗り越えたとき、未来のキミのような患者を救う手助けになるかもしれない。
 キミが救うのは私や初瀬だけじゃない。キミがキミを救って、未来のキミも救うんだ。
 だから、足を踏み出すのを怖がらないでほしい、とアーマッド教授が熱弁をふるうの聞きながら、千尋は顔を見たこともない中年の研究者のことを少しだけだったけれど、理解出来たような気がした。

「教授。俺、どうしたらいい?」
「初瀬から受け取ったデータにはなかったんだ。だから、私にも見せてほしいな、キミの写真がどんな風なのか」
「でも、教授。俺、何も見えなくて——」
「カメラの使い方もわからない? かな」
「えっ? うん、まぁ、それもある、けど」
「大丈夫。ニックがちゃんと教えてくれるし、キミには『百錬自得』があるじゃないか」

 言うなりアーマッド教授は医学生のニックという青年の紹介を始める。今年、アーマッド教授の研究室にやってきたばかりのまだ年若いニックは写真を撮るのが趣味だという。少し訛りの混じったイギリス英語が彼もまた夢を背負って大学に進んだのだということを知らせる。
 軽い自己紹介を挟みつつ、千尋はニックと握手を交わした。かと思うと教授がサイドテーブルのカメラを千尋に手渡す。ずしりと重くて――まるで千尋の知っているカメラではないような錯覚にとらわれた。そんな千尋をどう思ったのか、アーマッド教授が千尋の肩を叩く。

千尋。いいかい? 私たちはキミを利用する。キミは私たちを利用する。信じてほしいなんて私は言わない。キミはきっと私たちのことを信じたからここへ来てくれたのだから」

 だから、キミに何が出来るか。キミが何をしたいのか。私たちは何だって試そう。
 声音はゆっくりと安定していた。アーマッド教授は嘘やその場しのぎの取り繕いをしようとしているわけではない。文字の見えない千尋の為に点字の手紙を書いてくれた、あのとき千尋の背中を押してくれたままのアーマッド教授だった。
 だから。

「ニック。教えてほしい。このカメラはどうすればいいんだ?」
「いいとも千尋。これはここを――」

 千尋は分不相応の一眼レフを触る指先の力を込めた。絶対に離さないと決意して、千尋はニックの説明を聞く。ピントの合わせ方、シャッターの切り方。一度や二度聞いたぐらいでは到底覚えきれないような色々を聞き続けて、そうして千尋は「百錬自得」の感触を使って一枚だけ写真を撮る。指先がスイッチを押下して、カシャ、という音が聞こえたその瞬間、ほんの少しだけ世界が明るくなった気がした。

千尋? キミ、本当に一眼レフは初めて?」
「ニック、どういう意味?」
「初心者にしては上出来すぎるよ。この調子でもっと機材に慣れていけばキミはきっと素敵な写真家にだってなれるさ!」
「ニック。俺はテニスがしたいんだ」

 そうだとしても、キミには写真を撮り続けてほしい、とニックは言う。
 顔も知らない友人兼写真のコーチ――ニックは自分の研究の合間には足げく千尋の個室に通ってくれるようになり、フィルムが必要ではないのをいいことに毎日のように写真を撮った。ニック、アーマッド教授、大倉。それから看護師たちや売店の職員たちの写真すら撮った。毎日、毎日写真を撮るとシャッターを切ってしばらくすると少しずつ世界に光が還ってくるのが明らかになってきた。
 そして、とうとう千尋の網膜に実像が結ばれたのは五月の半ばだった。
 長い間、知らなかった大倉初瀬の顔を初めて見たとき、千尋は自分の耳がそれほど無能ではなかったのだと知る。大倉は声音の通り、純朴そうで善人ぶった三十手前の顔をしていた。ああ、これが大倉なのだ、とわかったとき千尋は酷く安堵して泣いてしまった。日本を出て以来、初めて自分の為に泣いた。そんな千尋を見て、大倉もまた感涙していて、アーマッド教授に「キミたちは少し気が早すぎはしないかね」と苦笑されたほどだ。
 完治にはほど遠い。最初はたったの五分だけしか光が見えなかった。光が見えなくなってから二時間は何をどうしても暗闇のままだと気付くのに一週間かかった。シャッターを切る、というのが何らかのきっかけになっていると気付いてからというもの、ニックは以前にもまして千尋に写真を撮らせる。
 ひと月かけて視界が戻る時間を一時間まで延ばせたとき、千尋は確かに希望を感じていた。
 ただ、そこからが長く、七月の半ばでも二時間が限度だった。こんな状態で日本には戻せない。アーマッド教授がそう判断してからは教授と大倉が毎日のように口論の応酬だった。

「じゃあ、どうやってお前、帰ってきたんだよ」
「日本の写真、見たいだろ? って言った」
「それだけ?」
「そう。それだけ。でも、教授は折れてくれた」

 羽田空港にほど近いホテルの一室。千尋と大倉が予約したツインの部屋にあたかもそうあることが当然の顔をした千代由紀人(せんだい・ゆきと)がいる。結局、あの後、回転寿司店で暗闇二人羽織のようなことをしているのが大倉とテニス部顧問とに見つかって小一時間説教を受け、解散を命じられた。自宅のある幸村精市たちは帰宅せざるを得ず、納得がいかないという顔をしていたけれど、大人たちは誰も許してはくれなかった。
 千尋が仕方なしに帰る足音と別離している間に大倉はタクシーを呼んでいて、到着するなり千尋と千代を後部座席へと座らせる。大倉自身は助手席に乗って、タクシーは走り出した。千代の泊まるホテルも何の奇跡かわからないけれど、同じだったと知ったのはそれから数分後のことだ。
 22時まで所用で留守にする、という大倉の言葉を受けて千代が千尋の世話を買って出る。確かに、初めて泊まるホテルで一人きりでは何が起きるかもわからない。22時までの間だ、と何度も念押して大倉は外出した。
 手探りで写真を撮って二人で盛り上がるのは禁止だとはっきりと言われている。
 もしも、この約束が守れないのなら明日の朝、一番の便でイギリスに戻るとまで脅されて大倉がそれを実行する大人かどうかは明らかだ。どれだけの費用負担になろうとも、大倉は本当に千尋を連れて帰ってしまうだろう。
 だから。
 千尋はカメラが入っている鞄の特徴を千代にもわかるように伝えた。
 千代が室内に運び込まれた千尋たちのスーツケースの中から、それを探す。精密機器だから、機内持ち込み可能な大きさの鞄に入れた、と伝えると千代が鞄の色を問う。白だ、と答えると少しの間がさごそという音が聞こえて、千尋の座ったテーブルセットに鞄が置かれる気配があった。
 そうして。カメラと同じ鞄に入れてあったラップトップの端末を起動してやって以来、千代はずっと千尋の撮った写真に見入っている。一番最近の写真は羽田に着いたときのもので、夕映えの複雑な色合いの中にも美しさがある、と千代は率直に褒めてくれた。
 これは誰だ。あれは誰だ。ここはどこだ。それは何だを無限に繰り返してどのぐらいの時間が経っただろう。
 まるで昨日までずっと一緒にいたかのような気安さで千代が千尋に問う。

キワ、お前、明日は立海行くだろ」
「初瀬がいいって言ったらな」
「俺はお前の意思を確認してるんだけど?」
「初瀬がいいって言わなきゃ俺はどこにも行けねーんだって」
「何だよ。俺より保護者のが大事なのかよ」

 その言葉には言外にテニスよりも大事なものがあるのか、と含まれていて千尋は複雑すぎる感情を抱いた。
 ないよ、そんなもの。言いたくて、言えなくて結局千尋は曖昧に笑って首を横に振る。千代はどう思っているだろう。戦力外になった千尋のことを千代は許してくれるのだろうか。それともここで見捨てられるのだろうか。そんな漠然とした不安を抱いたままでも、千尋の両眼に光は射さない。

「ダイ。どうしようもねーんだ。時間薬って言うらしい」
「何それ。意味わかんないんだけど」
「俺もよくわかんねーけど、今、一瞬だけテニスをするか、未来のずっとずっと先までテニスが出来るかを選べって言われてさ、どうしたらいいのか俺もわかんなかった」

 本当は今も未来もどこまでだってテニスをしたい。
 テニスのない日々と一刻も早く別離したいのなら、まずは気持ちを整えることだと言われた。今日明日どうこうなる次元はもうとっくに過ぎている。焦れば焦った分テニスが遠ざかるというのは千尋も何となく理解していた。だから。別のことを――写真を撮って、せめてテニスのことを覚えていたい。ニックの仲間だというテニスサークルのイギリス人を紹介してもらった。そこで、テニスを遠巻きに見ている。
 千尋の人生でそれが精一杯のテニスとの関わりだった。

「ダイ、お前の方こそどーなんだよ。足、治りそうか?」
「――治ってたら、もうとっくに帰ってきてるに決まってるだろ」
「お互いわけかんねーことになったな」
「それで? 保護者には何て説得するつもり?」
「説得もくそもあるかよ。普通に、決勝戦が三日後なら三日待ってくれって言うだけだって」
「それはそれはご理解のある保護者様で」
「ダイ、お前初瀬のこと知らねーからそんなこと言うんだろ。いいか? 初瀬ってのは俺の父親であって母親であって兄貴なんだ」

 長男として生まれて、妹が生まれて、ずっとずっと千尋は「お兄ちゃん」だった。甘えることは自重させられて、頑張る姿を見せさせられて、ずっと千尋だって誰かに守られたかった。
 そんな千尋を大倉は色んなものから守ってくれた。千尋という個人を尊重して、千尋の視点で一緒に悩んでくれた。
 実の両親に愛されなかっただなんて思っているわけではない。
 両親は両親で千尋のことを尊重してくれたのは知っている。それでも、あの瞬間。お荷物の千尋より妹のことを両親が選んだのを忘れる日は決して来ないだろう。
 だから。家族なんて幻想だと思った。信じても裏切られるだけだと知った。
 そんな千尋に手を差し伸べてくれた大倉に甘えているだけだとしても、千尋がいつか本当の本当に光を取り戻し、人として独り立ちする日が来たら、きっと大倉は今までにないほどの笑顔で喜んでくれるだろう。
 その日まで、大倉は千尋の父であり、母であり、兄であるのだという僥倖を千尋は何度でも噛み締める。

「ダイ。初瀬は俺の為になんねーこと以外はきっといいって言ってくれるよ」
「そう? 普通のそこら辺にいる冴えないだけの大人にしか見えなかったけど?」
「お前、わかってるか? 普通のそこら辺にいる冴えないだけの大人は俺みたいな体調のやつを中学三年生のお前に託して外出したりしねーんだよ」

 大倉は千代のことも対等な一人の個人として認め、千尋の長いながい思い出話の中から信じられると判断した。
 だから中学三年生の千尋たちを二人で残して、煩雑な所用に出ている。そう告げると千代がぐっと息を呑むのを感じた。

「鹿島(かしま)のお爺様様だってそうだろ」

 左足が完治していない千代を一人で東京に返すのがどれだけの負荷か、考えもしなかったわけがない。
 それでも。千尋や千代の周囲にいる大人たちは信じてくれた。
 不幸中の幸い、という言葉がある。
 恵まれなかった中にでも幸運は眠っていて、それを見出すのかどうかで人の一生は色んな方向に傾いてくことを暗示していて、千尋はその言葉を最近、嫌いではなくなりつつあった。

「お爺様様は――言ってた。満(みつる)の先輩ならきっとちゃんとしてるだろう、って」
「流石様様だな。よく見てくれてるじゃねーか」
キワ。俺、お前のそういうとこ、嫌いじゃなかった」
「今、嫌いになったとか言うなよ?」
「さぁ? どうなんだろ」

 ダーイーちゃーん。しっかりしろよ。自分の感情だろ。
 こんな風に他愛のないことで、言葉遊びをして、ふざけあって笑いあう明日がもう一度来る、だなんて信じられなかった日も千尋の人生にはあった。そのときに逃げ出さなくてよかった。諦めないでいてよかった。
 千尋の両眼には見えないけれど、千代が微笑んでいるような感触が伝わる。それが今、目視出来ないのが非常に残念だけれど、でも、これからの未来にはきっともっとずっと長い時間、千代と共有出来る時間があると信じたから千尋はここにいる。
 そんなことを繰り返しているといつの間にか大倉が帰ってきた気配があった。
 そして。

千尋君、千代君。そろそろ約束の22時になるから、今日はここで解散しよう」
「な? 今日『は』って言っただろ? そういうやつなんだよ、初瀬って」
キワ。じゃあ、また明日」

 おう、また明日な。
 言って別れられることの幸福を知った今は満更悪いだけの人生でもないだろう、だなんて思う。
 思いながら、千尋は約束を現実にする為に自分の保護者と向き合った。

「初瀬、俺――」
「次、いつこっちに帰ってこられるか、僕にもわからない。アーマッド教授は君にイギリスの高校に進学するのはどうか、って言ってくるぐらいだから、本当に年単位で帰ってこられないこともあると思う」
「初瀬。俺は自分の人生から逃げなくていいぐらいには、初瀬や皆に守ってもらった。ここにいて、俯かないでいいのは全部、あの日初瀬が俺を守ってくれたからだ。そんで――」

 帰ってきたいと思える場所があるのは幸村たちのおかげで、その気持ちが千尋を支えている。
 だから。

「見届けたいんだ。勝つのが一番いいけど、そうじゃないとしても、同じ場所で同じ向きで同じ理想の為に戦いてーんだ」

 千尋が不在のまま、立海が三連覇を成したら千尋の存在は不要だと示しているも同然だ。
 以前の千尋ならきっと怖じて、嫌悪して、逃避したに違いない。
 それでも。千尋がいなくても、幸村たちが勝つのが一番いい、と思えた。心の底から、勝ってほしいと思った。それを見届けられたら千尋はきっと今まで以上に前を向いて走っていけるだろう。
 だから、決勝戦のその日まで時間がほしい、と告げる。
 大倉はそんなことは当たり前だと言わんばかりに千尋の頭を撫でて言う。

千尋君。君は強いね」
「強くねーからこんなことになってんじゃねーか」
「そうじゃなくてね。うーん、まぁいいか。無自覚って最強だなぁ」

 明日、立海、行ってもいいだろ。だから、早く寝ようぜ。
 返答を待たずに千尋はベッドに飛び込む。シャワーを浴びてきなさい、という言葉が聞こえたけれど非日常を浴び続けた千尋の聴覚は処理しない。暗いままの景色が遠ざかって、暗転するのはもうすぐのことだった。